【インタビュー】星野陸也が2024年を振り返る。「今までで一番我慢した年だなと思います」
「自分で作り上げてきたものが助けてくれる」
「まだ握る強さがわからないからとりあえずインパクトゾーンだけ真っすぐに当たるようにやっていたら、アイアン以下は結構いい感じになったんです。でもウッド系は打った瞬間どこにいくかわからないという初めての経験で。1つ間違えたらイップスになるかもしれないと。それでもアイアン以下が本当に“神って”て(笑)。ドライバーを曲げてブッシュから4鉄でバーディチャンスなんて。あの試合、今見てほしいくらいです」と少年のような目で話す星野。 「そこから予選を何とか通過していき、ドイツの試合で握り方がいきなり天から降りてきたんです」とまた楽しそうに続ける。この試合は、前年に3位に入り、リランキングに成功した縁のある大会だ。 「戻るということを信じて、自分の今までやってきたやり方を何回もずっと繰り返しました。練習器具を使ったり、ここの筋肉を動かすとテークバックがアウトに上がるとかインに上がるとか。あのとき打ち方を変えなくてよかった」 染みついている修正術を続けていったら元の感覚が戻ったという。 「でもまだ苦しかった。前年の久常(涼)はポイント1800くらいでPGAツアーに昇格できたけれど、昨年からシステムが変わったので2000は必要。最初の2戦で1100取れたので、カタールで優勝して正直、普通にやっていれば行けるな、と思っていたんです。それがまさかの気胸。でもまだ中盤、後半の大事な試合には出られると気持ちを切り替えた。今の調子なら頑張ってトップ10前後でポイントを積み重ねていくしかないと思ってプレーしました」 冷静な自己分析が星野の持ち味の1つである。 「予選通過すれば20ポイントは入る。これが最後に大事になってくると。気合いでした。1日で予選通過圏内に3回出たり入ったり。“気胸明け”なのにギリギリで予選通過するから休みがなくて(笑)。執念です。でもやっぱりカタールの頃の状態にはなかなか戻らない。8割くらいの“ゴルフ筋力”が戻ったのは最後の2試合くらいです」 しかし星野には自身の身に降りかかった病気という災難を自分の経験に変えてしまう柔軟性がある。 「次に何か起きたとき、あの経験があるから大丈夫だと逆に自信になりました。それを利用して次の経験に生かせると考えたんです」
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業務用の鉛ロールを持ち歩き、全クラブに微調整で鉛を貼る。アイアンカバー仲間にはアーロン・ライがいるが、鉛仲間は「探してますがまだ見てないです」。 THANKS/宍戸ヒルズCC PHOTO/Tadashi Anezaki ※週刊ゴルフダイジェスト2025年1月21日号「ヨーロッパからアメリカへ 星野陸也」から一部抜粋 === 週刊ゴルフダイジェスト誌面では紹介しきれなかった星野陸也が体験した欧州ツアーのエピソードは関連記事「堀野陸也の欧州ツアーエピソード集!」に掲載中!
週刊ゴルフダイジェスト