「お前はなにもわかってない!」…明治時代、文豪たちのガチンコ喧嘩が起きた「衝撃の理由」
「没理想論争」の勃発
このような理解を踏まえて鷗外は、『小説神髄』(一八八五―一八八六年)を刊行し、また「美とは何ぞや」と題した評論などを発表していた坪内逍遙に対して論争を挑んだ。いわゆる「没理想論争」と呼ばれる論争である。 一八九〇年に東京専門学校(早稲田大学の前身)に文学科が設けられ、翌年『早稲田文学』が創刊されたとき、その最初の号に逍遙は「シェークスピヤ脚本評註」を発表した。そのなかで逍遙は、シェークスピアの偉大さについて次のように論じた。 自然についてはさまざまに解釈することができるが、どんなに解釈を尽くしても、その真の意味を理解することはできない。そこには理想があるともないとも言えない。それは「没理想」と表現するほかはない。同じことは芸術にも当てはまる。たとえばシェークスピアの作品はさまざまな解釈を許し、これこそがその「理想」であると言うべきものがない。それは「底知らぬ湖」にも喩えられる。しかしそれこそがシェークスピアの偉大さを示している。「没理想」の詩を作る者こそが大詩人なのだと逍遙は主張したのである。 この逍遙の考えに対し、鷗外は「柵草紙の山房論文」のなかで、烏有先生という架空の人物を登場させ、彼を通して逍遙に対する批判を語らせた。 逍遙は自然には「理想」があるともないとも言えないと主張したのであるが、鷗外はそれを「理想」否定論ととらえ、烏有先生に次のように言わせている。「世界はひとり実なるのみならず、また想のみちみちたるあり」。自然は物質だけで成り立っているのではなく、そこには「想」がある。言いかえれば「理想」がみちあふれている。たとえばクジャクの一つひとつ異なる羽が一つになり「渾身の紋理」を示しているのも、自然の理想の現れである。 逍遙は自然のそうした理想だけでなく、私たちの意識界を取り巻いている理性界、そこでこそ理想が実現される世界に対しても目をふさいでいる。それを見ないためにシェークスピアのなかにある理想をも認識することができないのだという批判を鷗外は展開したのである。 それを通して二人のあいだで論争がくり広げられたのであるが、要するに鷗外は、理想なしには美が成立しえないこと、そしてそれが具体化されたものこそが偉大な芸術作品であることを主張しようとしたと言ってよいであろう。 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田 正勝