野村克也監督「江夏に見合う大投手はお前しかおらん」も実はサッチーが原因!? 江本孟紀氏が明かす阪神へのトレード裏話 「プロでやれたのは張本勲氏のおかげ」
南海1年目…いきなりの16勝
江本: それで、開幕2戦目に先発ですよ。その試合は延長11回くらいまで0対0だったんですけど、最後に1点取られて、結果的にサヨナラ負けしたんですよ。 徳光: その試合は負けたんだ。 江本: ええ。それで、帰りのバスの中で野村がマイクを持って、バッターみんなをボロクソに言うわけですよ。「お前らなぁ、江本に借りができたからな。次は返せよ」。順番に「お前、なんだ、あのバッティングは。ぶりぶり振り回して」とかって。自分もノーヒットなのに、そのときは監督になってますからね(笑)。 でもまあ、僕に向かって励ます意味で言ったんでしょうね。「南海っていうチームは、俺を仲間にしてくれたな」と思いました。 徳光: はぁ、なるほど。 江本: その試合の1週間後くらいのロッテ戦で完投勝ち。それがプロ入り初勝利なんですよ。 それから、ダーッと16勝しましたから。 南海1年目、1972年の江本氏の成績は38試合に登板して16勝13敗、防御率3.04。東映時代の前年の成績、0勝4敗から大躍進を遂げた。
阪神へのトレード…原因はサッチー!?
1975年オフに江本氏は阪神にトレードされる。南海からは江本氏のほかに島野育夫氏、長谷川勉氏、池内豊氏、阪神からは江夏豊氏と望月充氏という2対4のトレードだった。 徳光: 南海から阪神へのトレードが、いまひとつ分からないんですけど、どういうことでトレードになったんですかね。 江本: 表向きになってる話は、阪神の監督だった吉田(義男)さんが、「江夏のような難しいピッチャーはもう扱えないから取ってくれないかな」と、野村さんに打診したわけですね。野村さんは、「あんな大投手をくれるなら。俺はあいつと1回バッテリーを組みたかったんで取ってもいいよ」ということで、話が決まっちゃったわけですよ。 「じゃあ、阪神の方は誰が欲しいんだ」ということで、僕の名前を南海が出したのか阪神が出したのか分からないですけど、江本と島野の2人に若いピッチャーを2人つけた。それで、4対2のトレードをやろうということになって阪神に行ったんですよ。 徳光: 水面下では野村さんの愛人問題があったみたいな話もありますよね。 江本: そうです。あのころね、サッチー(伊東芳枝氏。後の野村沙知代夫人。当時は野村氏と不倫関係にあった)がね、チョロチョロし始めたわけですよ。サッチーが周りで動いてるっていう話でね。 徳光: どういうことですか。サッチーが動いてるって。 江本: 監督に口出しするんでしょうね。「あの選手を使え」とか「使うな」とか。 徳光: そうですか。 江本: 門田博光は、「あんなもん、ろくなもんじゃない」みたいなことを。これ、噂ですよ。 僕は当時、一応中心選手だったんで、「お前と何人かで監督に忠告せい」という話になって、それで、ノムさんをホテルに呼び出して、「こんなにチーム内が動揺してる。だから、その辺を整理して、すきっとさせるのが大事じゃないですか」みたいな話を延々とした。野村は言えば分かる人なんですよ。「あぁ、そやなぁ」とか言って。それで、いい感じで終わったんですよ。 でも、そのオフの選手会のゴルフコンペに、野村がゴルフもしないのに来たんですよ。それで「おい」って僕を呼ぶんですよ。「お前、ちょっと旅に出てこい」。 徳光:旅に出てこい(笑)。 江本: 「旅ってどこですか」って聞いたら、「阪神や。相手は江夏や。江夏に見合う大投手って言ったらお前しかおらんやろ」って言われて。 徳光:へぇ、うまいなぁ。 江本:うまいですよ。だけど、決まったら4対2です(笑)。 (BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/9/24より) 【後編に続く】
プロ野球レジェン堂
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