「豚肉が入ってるぞ!」イスラム教徒を激怒させた日本のレストランに呆れるフランス哲学者「自民党はこの店と同じ対応して負けた」
石破茂・自民党総裁が第103代首相に選出された。しかし、すでに自民党内には歴史的大敗を喫した衆院選の責任を石破に負わせようとする「石破おろし」の動きもあるという。フランス哲学者の福田肇氏は「石破のみに責任を負わせようとする自民党はオワコンだ」と厳しく非難するーー。
イスラム教徒を激怒させたレストランスタッフの振る舞い
私は数年ほどフランスの大学で教えたことがある。 そのときの教え子の一人のアルジェリア人が日本に遊びに来たので、東京のどこかのレストランで会食をした。 彼はカルボナーラを注文した。当然、ベーコンが入っている。彼イスラム教徒だ。 「豚肉が入っているじゃないか! メニューにはそんな材料名が書いてなかった。作り直してくれ」。憤然としてそうスタッフに告げた。 スタッフは、「承知しました。作り直します」と神妙に応え、2、3分後、「ベーコン抜き」カルボナーラが運ばれてきた。 「お待たせいたしました。ベーコン抜きでございます」 アルジェリア人は、「ただベーコンを抜いただけで、もとのものと同じじゃないか! 俺は、作り直せ、と言ったんだ」。 今度は険しい表情でクレームをつきつけた。 厨房のスタッフは、おそらくイスラム教の戒律についてタカをくくっていたのだろう。要するに視界から豚肉をはじいておけばいいんだろ、くらいの認識だったにちがいない。しかし、イスラム教徒にとって、豚といっしょに調理したもの、豚の成分が混入しているものは、たとえ塊としての肉片が入っていなくても、〝穢れたもの〟として拒絶される。
精神分析医フロイトが指摘したこと
ここで興味深いのは、ベーコンが混入した料理が最初に供された一回目よりも、豚肉無しで供した二回目のほうが、アルジェリア人の激昂を煽ったという逆説である。肉を〝取り除いただけ〟のカルボナーラの外観が、むしろ店側の無知、不誠実な対応をいっそう強調する〝シニフィアン〟(標識)として機能したのである。 このエピソードは、精神分析医フロイトの『否認』(Die Verneinung)と題された短い論文を私に連想させる。フロイトは、ここで、患者の無意識のなかに幽閉されていた観念が、「否認されることによって」という条件のもとで、その封印を解いて意識に突き抜けてくることがあることを指摘する。たとえば、「夢の中のその人物は誰なのでしょうとお尋ねですね。それは母ではありませんよ」と患者が精神分析家に言う。そのとき、患者は、無意識のなかに抑圧されている観念がとりもなおさず彼の「母」であるということを、「ではありません」という否定辞というタグとともに–––つまり、「ではありません」という〝シニフィアン〟のもとに–––表白しているのである。