「26歳まで生きてくれた難病・クルーゾン症候群の次男」稲川淳二(77)障がいを特別扱いしない活動を続ける現在地
仕事が絶好調の30代後半、先天性障がいのある次男が生まれました。限られた時間のなかで懸命に生きる姿を見て、稲川さんも変わりました。やがて、その思いを伝えるようになりました。(全4回中の4回) 【写真】障がい者アーティスト発掘のための「稲川芸術祭」での最優秀作品がすごい!
■難病の次男は「26歳まで頑張った」 ── 先天性の障がいがあった息子さんのことを聞かせてください。 稲川さん:次男の由輝(ゆうき)は、頭の骨に変形が起きるクルーゾン症候群という先天性の難病でした。生まれてすぐ、頭蓋骨の手術を何度も受けましたし、体じゅうが管につながっていることもありました。でも、ずっとニコニコしていました。ふざけたりしていたし、自分の好きな人は知っていました。長男から聞いたのですが、運動会でも黄色いゼッケンをつけて一生懸命走っていたし、鉄棒にも挑戦していたそうです。なんでも「できることはやらせよう」という方針ですね。私ならたぶんできなかっただろうけど、女房だからできたんでしょうね。私は何にもしてあげられませんでした。
── 最近は、お子さんの障がいなどについて公表する著名人が増えていますが、30年以上前はまた違ったかと思います。 稲川さん:私の場合は、隠しませんでした。わざわざ言うことでもないですが、隠すことではないですから。聞かれたら、「そうですよ」とふつうに言っていました。でも、あることないことを書こうとしたメディアがあり、ずいぶん無礼な人もいました。入院している息子の写真を撮りたいとやってきて、医師が怒ったこともあります。人の悲しみや苦しみなんか、知ったこっちゃない人が多かったです。
── 家族にも大きな試練だったと思います。 稲川さん:由輝は成長にあわせて、何度も手術をしなければなりませんでした。女房は頭の手術を見て、大変なショックを受けたでしょう。結局、女房ががっちり面倒を見ていたから私は入り込めなかったです。手術入院中くらいは女房と長男に休んでもらおうと、いろいろ計画もしたんですが…。とにかく稼がなきゃと、私は仕事ばかりしていました。でも、一番苦労したのは、家族ではなくまぎれもなく本人です。
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