「26歳まで生きてくれた難病・クルーゾン症候群の次男」稲川淳二(77)障がいを特別扱いしない活動を続ける現在地
── その後、息子さんは? 稲川さん: 医師からは最初、この障がいは中学生くらいまで生きられないと言われました。でも、息子は26歳までがんばって生きてくれました。そして、一生懸命生きて、まわりの人にも愛されていました。息子が亡くなったとき、通っていた施設の若い先生が来てくれたのですが、その先生は本気で泣いていました。「あぁ、短い人生だったかもしれないけど、この先生は本当に息子を愛してくれていたんだなぁ」と、嬉しさがこみ上げてきましたよ。
■仕事が絶好調だった30代後半「生まれた次男が教えてくれたこと」 ── 由輝さんと出会って、稲川さんの人生観はどのように変化しましたか? 稲川さん:由輝が生まれたのは、私が37~38歳のころ。いろんなことに挑戦して、忙しく仕事をしていた時期です。家を買って、仕事が楽しくて、絶好調ですべてうまくいくと思っていました。でも、由輝が生まれて、これはしっかりしなきゃと思いました。女房が落ち込むとつらいし、長男や家族全員に関係することですから。由輝はたくさんのことを教えてくれたので、私は人として少しは成長しました。「ありがとう」と言いたいです。由輝に会わなければ、私は人の苦しみを思いやることなく、人への情愛を感じることなく、ラクして生きてきたかもしれないです。
── 由輝さんとの思い出が、今も障がい者支援活動を続ける原動力になっているんでしょうね。 稲川さん:いろんな企業で講演をしました。私と子どもとの出会いや感じたことを話して、最後は私も聞いている方々も泣いちゃいます。泣かせるつもりは毛頭ないのですが、一生懸命生きる姿が見えると、みなさん我慢できないみたいです。私はどこかで息子に対して引け目を感じているんですよ。いい悪いでなく、ふつうに元気に育ってくれればよかったけど、そうできなくて「ごめんね」という気持ちです。
── テレビやラジオで広く活躍されている時期に重なりましたが、タレント活動をしているときの自分と父親としての自分のバランスはどのようにとっていましたか? 稲川さん:とくに違いは意識しませんでした。もともとタレントって、個人・プライベートがないでしょう。これは、いいことも悪いこともあります。でも、どこへ行っても顔がわかるのは、売れているということです。仕事がなかったら子どもを助けられませんから。
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