「パパは家族の中でもプレイボーイ」火野正平さん 事実婚妻の長女が明かす“逝去4カ月前の家族旅行”
「父とは、42年間もずっとこの家で一緒に過ごしてきました。父と母とはいまでいう事実婚でしたが、私たちの関係は普通の家族と何も変わりはありません。思い出をかみしめながら、父を送り出すことができました」 【写真あり】不倫相手の新藤恵美と映画で共演した火野さん 本誌の取材にこう語るのは、11月14日に亡くなった俳優・火野正平さん(享年75)の長女(42)だ。 今年の4月に持病の腰痛が悪化し、9月の腰部の圧迫骨折をきっかけに体調を崩していた火野さん。“元祖プレーボーイ”と呼ばれた彼は、家族に見守られながら静かな最期を迎えたという。 「’49年に東京都目黒区に生まれた火野さんは、12歳のころから劇団に所属し、子役としてキャリアをスタートさせました。転機となったのが、’73年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』で演じた羽柴秀吉役。作家の池波正太郎に名付けられた“火野正平”という芸名で出演し、一躍有名になりました。 近年では’11年から『にっぽん縦断 こころ旅』(NHK BSプレミアム)で旅人を務め、日本各地を自転車で巡っていたのです。視聴者から寄せられたエピソードをもとに、実に14年にわたって1200日を超える旅を行ってきました」(芸能関係者) しかし、何よりも“火野正平”の名を広く知らしめたのは、数々の女性スキャンダルだった。前出の芸能関係者が続ける。 「’71年に一般女性Aさんと入籍し、1男1女をもうけたものの、同年に女優・新藤恵美さん(75)との不倫が報じられました。翌年にはAさんと別居しましたが、大河で有名になった後には、共演していた小鹿みきさん(75)との同棲が発覚。その後も数々の女性と浮名を流し、’81年には、演歌界のアイドルだった仁支川峰子さん(66)との交際でワイドショーをにぎわせました。 “11股交際”を公言したこともある奔放な女性関係は、ときに“女性の敵”とメディアから批判されることも。しかし母性本能をくすぐる独特な人柄で、お相手の女性たちも火野さんを悪く言うことはなかったのです」 火野さんと共演歴がある俳優の若山騎一郎(59)は、本誌の取材にこう語る。 「火野さんはかわいい人で、役者やスタッフからも彼の悪口は一回も聞いたことがないんですよね。スタジオの前のソファに火野さんがゴロンと寝転んでいるんです。そこに里見浩太朗さん(87)が通ると『ねぇ、こうちゃん。遊んでよ』と声をかけ、次に通りかかった故・松方弘樹さんにも同じように声をかける。『俺、ウチに帰りたくないんだよお』なんて言って、駄々っ子みたいでした(笑)。 僕が父(故・若山富三郎さん)の付き人だったころですが、ある撮影のとき、突然『コラーッ!』っていう声が聞こえてきたと思ったら、火野さんが撮影所内を逃げ回っているんです。それでパッと後ろを見ると、父が『お前、コノヤロー!』って火野さんを追いかけている。 何事かと思ったら、ウチの父の交際相手に手を出していたそうなんです(笑)。火野さんが逃げ回りながら『“私は若山富三郎の彼女です”って張り紙してくれてたら、僕だって手を出さなかったですよ!』って。あれには爆笑しましたね」 そんな火野さんだが、入籍したAさんとは、生涯にわたって婚姻関係を破棄することはなかった。生前、女性との関係に関しては「基本的に受け身」と話しており、’83年の本誌のインタビューにはこう語っていた。 「(離婚については)それは女房が決めることでね。好き勝手に家を飛びだしたオレの決めることじゃないもの」 ’81年から一般女性Bさんと交際し、2人の娘をもうけた後も、彼女とは最後まで事実婚関係を貫いた。冒頭の長女は、Bさんとの子供にあたる。 「実は家族の中でも、パパはプレーボーイだったんですよ」とほほ笑みながら長女は明かす。 「わが家は、母と娘2人。女3人でいつもパパを奪い合っていたんです。子供のころはパパに抱っこされるのが好きで、お風呂も一緒に入っていました。旅行にもたくさん連れていってくれました」 火野さんは、Bさんや娘たちと毎年ハワイのカウアイ島に行くのを楽しみにしていたという。 長女が1歳のころに初めて訪れて以来の習慣で、籍を入れていないBさんへの“指輪がわり”でもあったそうだ。 自著でもこう明かしている。 《母ちゃん(Bさん)には、結婚記念日なんてないよ……だって、結婚してないんだもん。だから、それはもう、毎年連れて行くカウアイ島でしかないよ》(『若くなるには、時間がかかる』2016年、講談社) 今年は持病の腰痛が悪化し、腰部の圧迫骨折まで患い、そんな旅行もままならなかった火野さん。亡くなる1カ月前には、自宅の近所で杖をついて歩く姿も目撃されていたという。 しかし、そんな困難にあっても、彼の闘病を支えた“こころ旅”があった。長女が懐かしそうに続ける。 「パパが今年の4月に腰を悪くしてNHKの番組を中断した後、7月に家族みんなで(静岡県の)伊東温泉に旅行に行ったんです。実はその旅行に行ったときも、お風呂は家族みんなで混浴だったんです(笑)。パパは最後まで家族からもモテモテでした」 前出の自著では“自分の死後”についてこう語っていた。 《俺は墓なんていらないから、カウアイ島の一番好きだった沖に骨を撒いてくれっていうのは今の母ちゃんに言ってある》 復帰を目指し、闘病していた最晩年の火野さんの耳には、カウアイ島の思い出と重なって、伊豆の潮騒が響いていたに違いない。
「女性自身」2024年12月3日号