アーロン・パークスが明かす、ジャズの境界線を越えていくバンド「Little Big」の全容
アーロン・パークス(Aaron Parks)は2010年代以降のジャズに多大な影響を与えてきた。特に2008年にブルーノートから発表した『Invisible Cinema』は紛れもなく時代を代表する名盤だ。あくまでジャズをベースにしながらも、様々なジャンルを感じさせるアイデアも含まれており、2010年代のジャズ・シーンを予見していたようにも思える。だからこそ、このアルバムは多くのジャズ・ミュージシャンを触発した。ジョシュア・レッドマンやカート・ローゼンウィンケルが自身の作品にアーロンを招き、ケンドリック・スコットをはじめとする同世代にも刺激を与えている。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 そこからしばらくアーロンはECMからソロピアノやピアノトリオでの作品を発表し続け、『Invisible Cinema』的な表現からは離れていたのだが、水面下では新たな一歩を模索していた。それが実ったのが2018年の『Little Big』。ウォー・オン・ドラッグスの作品を手掛けたダニエル・シュレットや、グリズリー・ベアのクリス・テイラーの手を借り、ポストプロダクションを駆使して、『Invisible Cinema』の頃にはできなかったことも形にしていた。2020年の続編『Little Big Ⅱ』でも、さらにその方向性を推し進めている。 そして2024年、アーロンは再びブルーノートと契約し、このプロジェクトの3作目『Little Big Ⅲ』を発表した。Little Big名義になってからの試行錯誤の延長にありながら、馬場智章『ELECTRIC RIDER』にも参加していた新鋭ドラマーのJK Kimが加入したこともあり、ライブ感が一気に増している。 ここではアーロンにLittle Bigのプロジェクトを振り返ってもらいながら、そこで目指してきたもの、そして現在地について語ってもらった。対話の出発点は2008年の『Invisible Cinema』。アーロンの復帰に伴い、ブルーノートが『Invisible Cinema』をヴァイナルで再発したことも、すべて繋がっているような気がしたからだ。 * ―Little Bigというプロジェクトのコンセプトを聞かせてください。 アーロン:これはLittle Big に限らず、僕のあらゆる音楽に当てはまることなんだけど、これまで聴いたことがない音楽を作りたかったんだ。即興音楽やジャズ、それと僕が長く聴いてきたロック、エレクトロニック、シンガーソングライター、その間に存在する音楽がどういうものなのか。それを想像し、見つけ、形にしたいという思い。時折、その二つの間の距離がすごく大きく感じるというか……二つを融合するプロジェクトを聴いても、どこか”挿し木”でもしてるように思えて。「ジャズはここ。そこに少し違うものをくっつけてみよう」とでも言うのか。まるで一体感がないように感じられた。今、Little Bigは最初から目指してた場所に、徐々に近づいている。さっき挙げた色んな要素がスープみたいに溶け合って、今ではもう素材を区別できないくらい、有機的な存在として調和した生き物になっていると思う。 ―あなたが過去に関わってきたプロジェクトで、Little Bigと特に関係が深いものは? アーロン:もう何年も前の『Invisible Cinema』でやろうとしたことは、Little Bigが追求しているアイデアとある意味では同じなんだ。でもそれを実現するには本物のバンドが必要だと気づくのに時間がかかったし、気付いてからはバンドとして成立させる方法を見つけなければならなかった。あとは個性豊かで、同じ美意識と興味を持つ人たちを集め、じっくりとサウンドを自分たちのものにしていく作業が必要だった。2枚のアルバムを出したら終わるジャズ・プロジェクトではなく、それ以上の何かってこと。これからも構築され、進化し続け、互いに学び合えるものであってほしいからね。 というのも、このバンドの文脈で即興演奏をどうするか理解するのはとても面白い。曲には和声的に大量の情報が詰まってるわけじゃなくて、シンプルで、複雑な変化も少ない。だからこそ、曲の中で新しい即興演奏の方法を見つけ、学ぶことが求められるんだ。その部分では(ギタリストで共同リーダーの)グレッグ・トゥーイから教えられることが多かったよ。Little Bigでの曲は、時に、僕にとって効率的な即興演奏をするには(曲が)シンプルすぎるんだ。でも徐々に近づくことができていると思う。 ―その即興演奏の方法についてもう少し教えてもらえますか? アーロン:このプロジェクトで僕が追求してるのは、あくまでも曲の中から生まれる即興演奏だ。トップダウンではないアプローチ……というのかな。「“ずっと練習して編み出した複雑な即興アイデア”をここで演奏するぞ」ではなくて、「どうすれば即興演奏を助けられるか、何が今この即興演奏に必要なのか」を知ること。このバンドでライブをやってて本当に面白いのは、どこで即興が終わり、どこからテーマが始まるか、その境界がわからないことがよくあることだ。だから観客にとっても「ここで即興演奏は終わり」「ここで拍手」「次のパートへ」……とはならない。すべての曲が独立した物語を持っていて、即興演奏があろうがあるまいが、ほとんど関係ない。ジャズ、特にモダンジャズで僕が拒否反応を感じるのは、Sibelius(*楽譜制作ソフト)で書かれた譜面みたいな感じだった時だよね。 ―というのは? アーロン:テーマは書き出されてて、みんながその旋律を演奏するんだけど、早くテーマ・パートを終わらせて即興パートに行くのが待ちきれない感じ。即興演奏が一番重要なんだと言わんばかりに。でも僕は、楽曲の旋律を演奏することが、即興演奏やソロと同じくらい、生き生きとした表現であることが重要だと考える。そうすることで、ソロはテーマと同じくらい”必然的”なものになる。つまり、二つの間には大きな差があるわけじゃなくて、互いに成長し、関連し合うものなんだ。主題~ソロ~主題ではなく、曲全部で一つのものなんだよ。 ―そういった”主題~ソロ~主題ではない即興”を実践していると思えるアーティストは誰になりますか? アーロン:今の時代は大勢いるよ。でも昔のものでも……たとえばチャーリー・パーカーは決して「ソロに至るまで、メロディを少しぶち込んでおく」ようなことはしない。彼が演奏するテーマにはソロと同じくらい”意図”と生命力と存在感があるし、ソロにはメロディと同じくらいのリリシズムがある。ただメロディを終わらせてアスレチックなことに取りかかるんじゃなくて、全てが絡み合っている。他にもマイルス、ロイ・エルドリッジ、レスター・ヤングなど僕のヒーローたちの多くがそうだ。『Little Big III』を聴いて、すぐさま連想するアーティストではないかもしれないが、その要素はある。 今の時代だったら、ビル・フリゼールがその代表だよね。もちろん彼のソロはエキサイティングでスリリングだ。でもある種、少しの間そこでリラックスして過ごしているだけ、のようでもある。つまりソロを取ることがその楽曲の主旨ではないし、ソロで誰かを感心させなきゃという目的もないんだよ。