「デジタル田園都市」構想における政治思想と都市思想の源流
「田園都市産業」の進行
時代は少し戻るが1918(大正7)年、渋沢栄一はハワードの理念を実現するべく「田園都市株式会社」を発足させた。これが現在の田園都市線、東横線などを有する「東急」の始まりである。高級住宅地の代名詞となった「田園調布」が、駅を中心とする放射状道路で構成されていることにも、ハワードの直接的な影響が見られる。 大正から昭和にかけての日本では、都心部から郊外に向けて多くの民有鉄道(私鉄)が敷設され、その沿線に住宅地が開発された。都心部のターミナル駅にはデパートを設け、逆に郊外のターミナル駅にはレジャーランドを開発し、平日は郊外から都心のオフィスへ、週末は逆に郊外のレジャーランドへという往復の人の流れを形成して利益を上げた。 プロ野球のスポンサーは、阪神、阪急(現オリックス)、西武、近鉄(現オリックスと楽天)、南海(現ソフトバンク)など、大都市と郊外を結ぶ民有鉄道が多かった。他には読売、毎日(現ロッテ)、中日などの新聞社、そして東映(現日ハム)、大映(現ロッテ)などの映画会社であり、まさに近代的な市民生活に即した産業といえる。 それまでの農村(養蚕)を基盤とした繊維工業、三井三菱住友といった財閥系の重化学工業とは別の「田園都市産業」ともいうべきものが、戦前戦後の日本経済を牽引したことが分かる。そこに生まれた核家族住宅に供給される製品の、パナソニック(松下電器)、ソニー、トヨタといった家電や自動車など、ものづくり産業が戦後高度成長を支えたのだ。今では、ソフトバンクや楽天やディー・エヌ・エーといったデジタル産業がプロ野球のスポンサーになっているのだから、「デジタル田園都市」という言葉はプロ野球とともに、日本資本主義の変化の道程を表しているともいえよう。
デジタル田園都市は可能か
地方の疲弊がよく問題となる。しかし現在の問題は、大都市周辺の田園としての地方ではなく、むしろ辺境としての地方である。そこに少子高齢化による人口減少すなわち過疎化、そして医療、介護なども含めた生活インフラの崩壊といった問題が起きているのだ。さらに気候変動による豪雨、土砂崩れといった自然災害がおそいかかる。 こういった問題をデジタル化によって解決しようというのだが、そこにはアクティブな方法とパッシブな方法の双方が考えられる。アクティブとは、アメリカ西海岸のシリコンバレー、インドのバンガロール、最近のバルト三国などのような、デジタル産業の振興によるまちおこしである。パッシブとは、教育や医療の現場においてインターネットを活用すること、いわゆるデジタル・トランスフォーメーションによる距離(過疎)の克服である。 いずれにしろ相当の覚悟が必要だ。これまでのような「田園=ハイカラ=理想郷」というようなイメージで地方をとらえるなら、失敗は目に見えている。もはや都市開発の時代ではなく、むしろ集約の時代である。医療、介護、水害対策の点からは、堅固な建築による集合居住も必要となるだろう。これからは地方にこそ都市集約が必要であり、そこにはそれなりの厳しい取捨選択も必要なのだ。(拙著『インテンシブ・シティ 都市の集約と民営化』鹿島出版会2006年刊・参照) このように、ひとつの政策を表す言葉にも、現政権の思想的源流と、日本の都市化の歴史が隠されている。そして国民は常に、時代の変化に即応しながら生きてきたのである。