【博多ストーカー殺人】裁判メモ(3)「できるだけ長く刑務所へ」「一片の慈悲もなく残忍極まりない」
令和5年(2023年)1月16日、娘から「6時半ごろ最寄り駅につく」と連絡があり、夫が車で迎えに行きました。7時を過ぎても娘は出てこず、電話も通じませんでした。名刺をもらっていた警察官へ電話し、安否確認をしてくれました。警察から「事件に巻き込まれている」と聞いて博多警察署に電話するように言われました。確認したら病院にいると言われて病院に訪ねたところ、その後『娘が亡くなった』と連絡を受けました。 1月17日、葬儀場で娘と会うことができました。娘が亡くなったことに実感がわかず、信じられない気持ちでした。犯人は捕まらず、警備が敷かれた中で葬儀は行われ、親族が参加しましたが、職場の人などは参加できず、本当はたくさんの人にお別れを言ってほしかったです。娘が亡くなってから生活が完全にストップしました。我が家は娘が稼ぎ頭で、今後の生活にも不安があります。孫が本当に不憫で、今は学校に通えていません。 被告に対しては死刑にしてほしいと思います。死刑にしても娘が戻ってくるわけではないですが、極刑を望みます。法廷でこうして思いを伝えると被告が逆恨みするのではないかと不安です。娘と大好きなお酒も一緒に飲めないし、思い出も作れない。娘を思い出して胸に穴が開いてしまった気持ちです。 事件後、ストーカー事件を耳にすることがあります。被告からのストーカー被害に手段を尽くしたのに、殺害されてやりきれなさを感じます。できる限り厳しい処罰を望みます。そうしないとストーカー被害は防げないと思います。被告が反省できるとは思わないです。できるだけ長く刑務所へ入れてください。最後に、遺族の我々はそっとしておいてほしいと思います。」
◆検察側の論告求刑
検察側は、寺内被告に求刑するにあたり、最終の意見陳述を行いました。まず、ストーカー規制法違反の罪について、弁護側が「寺内被告が川野さんと接触したのは偶然だった」と主張していることに対し、検察側は以下のように述べました。 ・寺内被告は事件当日の2023年1月16日、午後6時03分から約3分間にわたり、特に何もない路上で立ち止まっていた ・立ち止まっていた場所は、川野さんの勤務先会社と川野さんが帰宅時に利用するJR博多駅の途中の歩道だった ・川野さんが午後6時前後の時間帯に退社することや、帰宅時にJR博多駅を利用することを知っていた ・川野さんを見つけて近づき、傘をぶつけて「おい」と声かけし、川野さんから拒まれていることを分かった上で殺害現場まで川野さんに追従し、川野さんが警察に相談したことなどに対し文句を言ったり、謝罪を求めたという一連の言動をちゅうちょなく行った ・寺内被告がかつて恋愛感情を抱いていた川野さんが警察に被害申告したことを逆恨みし、それが次第に怨恨という感情に変わり、その感情を充足させる目的で、川野さんと接触できると予想・期待して立ち止まっていたところに川野さんが現れ、川野さんと接触し、追従したことは明らかで、川野さんとの接触は偶然ではない ⇒よって、ストーカー規制法が定める「待ち伏せ」「つきまとい」に当たる ・川野さんとしては、禁止命令を受けていたはずの被告人に何の前触れもなく待ち伏せされ、寺内被告が「つきまとい」をしている間の言動も粗暴 ⇒「待ち伏せ」「つきまとい」は、川野さんの身体の安全や行動の自由が著しく害され、不安を覚えさせるような方法で行われた ・禁止命令の際の対象行為「連続電話」と、本件時の「待ち伏せ」「つきまとい」をあわせて少なくとも2回繰り返しており、反復している ⇒「つきまとい等」が反復して行われた 以上の理由から「ストーカー規制法に違反する」と主張しました。