【博多ストーカー殺人】裁判メモ(3)「できるだけ長く刑務所へ」「一片の慈悲もなく残忍極まりない」
<面接から分かったこと> ・語彙が少ない ・具体的な出来事ばかりで感情や情緒などの言葉がほとんどない ・経験や興味のある話になると滑らかにしゃべれる ・家族や学校で学力や知識をみにつけられないまま成長したことがうかがえる ・ほとんど母親の手で育てられた ・両親に一緒に遊んでもらった経験が少ない ・小3ごろから中3くらいまで父親から身体的暴力を受けていた ・それによりボクシングを習い始める ・中学生ではけんかなどの非行に走る、一方でシンナーなどの非行はしていない ・中学ではけんかが強いこと、大勢にもひるまず立ち向かうことを誇りに思う ・保護環境がなかった ・ボクシングが被告人の自信となり、弱いものは守り強いものにひるまない、約束は守るという明確な価値観を持たせている一方で、バランスの欠けた自身にもつながっている ・大きな精神的苦痛を感じると「覚えていない」と繰り返すなど、記憶を切り離す、乖離症状の疑いがある ・事件後「頭がまっ白になってまったく覚えていない」など話すなど、乖離症状の中で行われた疑いがある 以上を踏まえて、寺内被告に求めることとして、「ありのままに認知する訓練を受ければ本来持っている弱いものへの思いやりなどの良さを発揮できる」「PTSDの疑いがあり、精神科医の診断や治療、臨床心理士の心理療法などが不可欠」としました。
◆「できるだけ長く刑務所へ入れてください」
6月24日、公判5日目。検察側が寺内被告への論告求刑を前に、殺害された川野美樹さんの母親が書いた手紙を読み上げました。 <検察側が読み上げた遺族の手紙> 「私は令和5年(2023年)1月16日に博多駅近くで殺害された被害者の母親です。娘は寺内被告に殺害され、遺族として心情を述べます。 娘は事件の2日後の1月18日に誕生日を迎え38歳になる予定でした。 娘は小さいころから活発で、思い立ったらすぐに行動するタイプでした。母子家庭で15年生活しましたが明るく育ちました。2人で暮らし、過保護なくらいに愛情を注ぎました。 その後、私が再婚しましたが、夫とも仲良く過ごし、中学時代はダンススクールに通うなど、持ち前の明るさで友達にも恵まれました。その後3年間、東京で過ごし、結婚して長女、私にとっては孫が生まれました。離婚して4人で福岡へ移り暮らすようになりました。福岡では一家の大黒柱として生活を支えてくれました。 令和2年(2020年)10月、人材派遣会社で正社員として働き始めると、「仕事が楽しい」と話していて、毎月私たちに生活費を渡してくれました。毎日7時40分ごろ自宅を出て、残業などがなければ6時半には帰宅をする生活でした。 令和4年(2022年)10月下旬ごろ、平日なのに遅い日がありました。帰宅すると私に『ストーカーみたいなのがいて警察に相談した』と話しました。『大丈夫?』と聞くと『大丈夫』と答えました。警察にも相談をしているし、孫に聞かれると怖がらせると思い、誰なのか、どうしてなのかは聞きませんでした。 令和4年(2022年)11月、自宅へ警察が送り届けてくれたことがありました。LINEで娘から『家の戸締りをしっかりするように』と来ました。警察と話すと『危険なので全員避難するように』と言われましたが、夫も私も仕事があるし、避難はとてもできないと警察へ伝えました。 その後12月は毎日警察がパトカーでパトロールをしてくれて、これで手出しはできないと安心しました。