【50歳からの断捨離®道 】家にあふれる大量のモノと「私が悪い」と自分を責める50代。でも片づかないのは、あなただけのせいではありません。
「一番の問題は、『それを自分が好きかどうか』『必要としているかどうか』などを考えないようにして暮らしているうち、Y子さんのモノに対する思考・感覚・感性もマヒしてしまったこと。 モノに対する本来の思考・感覚・感性というのは、『自分にとって』必要か必要でないのか、相応しいのか相応しくないのか、心地よいのか不快なのか。そのマヒした感覚を取り戻すことが大事なのです。 Y子さんには時間をかけて食器をひとつずつ手にとってもらい、『私はこれを好き?』『私はこれを使いたい?』と自問してもらいました。すると、作業の途中でポロっとこんな言葉が。 『私って、結婚してから食器ひとつ好きに選んだことがなかったんだ……』 『今あらためて考えてみると、この家にはお箸ひとつ、私がしたいようにできたものはありませんでした』 これです。これなんです。 これが断捨離でよくいわれる『モノを通して自分に向き合う』『モノと自分の関係性を見つめる(俯瞰してみる)』という作業なのです」
整然と並んだ柳井夫婦ふたり分のカトラリ―。 「小さいスプーンは無印良品で買ったものですが、ほかは特に覚えていません。ブランドにこだわりはなく、シンプルでよけいな飾りがないものが好みです。食洗器の中にカトラリ―や食器が入れっぱなしにならないようにしています」
「世間では断捨離というと、単にモノを減らす・捨てることをさしていると思われていることも多いようですが、そうではないのです。こうして『自分が使いたいと思ったモノだけを残す』というレッスンを続けていくうち、Y子さんはだんだんとモノに対する思考・感覚・感性を取り戻し、『義母が…』『夫が…』ではなく『私が…』『私は…』と言うことが増えていきました。そしてモノを選び抜く判断を繰り返すプロセスが、『自分で決められる』という自信につながっていったのです。 そもそも『自分が選びぬいたモノ』『お気に入りのモノ』に囲まれて暮らしていれば、人はごきげんでいられます。 自分にとって不要・不適・不快なモノを手放し、要・適・快なモノだけを残す。その結果得られた生活が、どれだけ愉しく、気持ちがよいものか。 これは実際にやってみた人じゃないとわからないことだと思います。だからこの連載を読んでくださった方には、読んでおしまいではなく、トライしてみてほしいのです。断捨離は行動哲学なのです。 (と、取材で話したら、この連載の担当編集者さんが『それってある意味ダイエットと似てますね。ダイエットの記事を読んだって、読んだだけでは痩せないですから。実践してみてもらってはじめてその記事がお役に立つのですから』と言ったのですが、そのとおり)」