日テレ卒業、フリーになった青木源太アナ 司会降板や別居報道の洗礼、決断した大勝負
何かを得るためには、何かを失うリスクもある。青木の願いは叶ったが、「現場から声がかからなければ異動」という条件も突きつけられた。 事前に、制作陣に根回ししたわけでもない。現場から声がかかる保証は何もなかった。だが、覚悟を持って全てを捨てた男の元には、新たな仕事が舞い込んだ。4月から、『Oha!4 NEWS LIVE』のキャスターとして水曜から金曜までを担当することに。以前から出演していた『スッキリ』でのロケも増えていった。そして、2015年10月からは情報番組『PON!』の司会に抜擢された。 「目の前の仕事に一つひとつ丁寧に取り組んで、また一緒に仕事をしたいと思ってもらう。その繰り返しでした。先日、『PON!』で同じ時期にレギュラー出演していたNEWSの増田貴久さんがある番組でナレーションをしていました。当時の総合演出の人が制作していたので、理由を聞くと『また増田君と仕事がしたいと思ってさ』と話していたんです。仕事は、人と人のつながりだなと再確認しました」
青木の知名度は日増しに高まっていき、『PON!』で映画やジャニーズを熱く語る姿が認知され、イベント司会も激増。2016年12月発表の『好きな男性アナウンサーランキング』では、初めてベストテン入りを果たした。2年後には、局アナだけで回す午前中の帯番組『バゲット』の司会を任されるまでになった。自分の決断を見事にプラスに変えたのである。 独立後、『バゲット』は後輩の平松修造アナに引き継がれている。継続したい思いはなかったのだろうか。 「フリーになって出られないのはわかってました。『バゲット』はもともと局アナだけで作ることがコンセプトでしたから。僕がフリーになっても続けますよって、そんな虫のいい話はない。自分のいた席に平松君がいるのを見て、とてもうれしいです」 他方、テレビやラジオなど日本テレビ以外のメディアに出演する機会も増え、青木が求めていたイベントの司会も精力的にこなしている。芸能事務所に所属する以上、これからはタレントのような働きを要求される場面も出てくるだろう。 「テレビにも出たいですし、求められれば体を張るような仕事もやりますし、意見も言います。でも、僕はあくまでアナウンサーとして独立した。進行役として共演者が輝くような役回りでいたい」