日テレ卒業、フリーになった青木源太アナ 司会降板や別居報道の洗礼、決断した大勝負
レギュラー番組の司会降板も「わかっていた」
青木が退路を断つのは、これが初めてではない。 入社6年目の2011年4月、桝アナが早朝の帯番組『ZIP!』の総合司会に抜擢される。日本テレビは、『ズームイン!!朝!』『ズームイン!!SUPER』と32年間続いた看板番組に幕を下ろし、新たなスタートを選択した。同枠は徳光和夫、福留功男、福澤朗、羽鳥慎一、西尾由佳理という局の歴史に名を残すアナウンサーが務めてきた。その大役に同期が座る。青木は衝撃を受けた。 「桝君があれよあれよという間に、スターアナウンサーの階段を駆け上がっていく。その様子を間近で見ていて、僕も刺激を受けました。一度きりの人生、後悔したくない。日に日に、『好きなことをやりたい』という思いが募っていきました」 2012年初頭、毎年恒例のアナウンス部長との面談が行われた。青木は、ある重大な決意を持って臨んだ。応接間に入って軽く挨拶を交わすと、鼓動の高鳴りを抑えながらこう告げた。 “これからはスポーツ実況を一切せず、情報やバラエティーなどスタジオの仕事をしたいです” 青木は入社以来、プロ野球や箱根駅伝など主にスポーツ実況を担当してきた。日本テレビは開局以来、プロレス中継や巨人戦の高視聴率に支えられてきた。現在、地上波での放送はほとんどなくなっているが、今もスポーツ実況はアナウンス部の花形だ。 予想さえしない宣言に、2人の管理職は驚いた様子だった。 「日本テレビの門を叩いた時から、ずっとその思いを抱えていたんです。でも、サラリーマンですから、与えられた仕事は当然しないといけない。年々、実況が増えていく中で、葛藤がありました。スポーツの日程はあらかじめ決まっているため、それ以外の仕事は自動的に限定されてしまう。正直な気持ちを伝えました」 アナウンス部の上層部で話し合いが持たれた。反対意見が大勢を占める中、「彼は腹をくくっている」とある部長が鶴の一声を上げた。