「嫌なこともあるけど、それでも人生は楽しい」関根勤が孫たちに一番伝えたいこと
「嫌なこともあるけど、楽しいこともいっぱいある」と思ってほしい
ーー娘の麻里さんを育てる中で、どういったことを心がけていたのでしょうか。 関根勤: 麻里が生まれて自分に何ができるかを考えた時、笑わせることだなと思いました。例えば、学校で友だちといざこざがあったとか、先生とそりが合わないとか、勉強が嫌いとか、嫌なことがあっても家に帰れば家族が出迎えてくれる。楽しい時間を過ごせれば「あ、人生って楽しいんだ」「嫌なこともあるけど、それでも楽しいこともいっぱいあるな」と思えますから。良いことと嫌なことが天秤に乗っていたとして、五分五分だったら崩れないんですよ。でも、嫌なことが増えるとドロップアウトしてしまう。だから、楽しいことや良いことをいっぱい乗せてあげれば、つらいことがあっても耐えられるんじゃないかなと考えたんです。 孫たちにも麻里を育てた時と同じように「人生は楽しい」と教えたい。ドゥドゥと会えば嫌なことも忘れられると思ってもらえる存在でいることが僕の役目だと思っています。僕はいつも孫たちに「生まれてきてくれてありがとう。君たちが生まれた時、ドゥドゥは本当に幸せだったんだよ」と口に出して伝えています。あまりに何度も言うから、「もうわかったからいい!」なんて言われるけど(笑)。それでもしつこく言っています。そうすると、アイデンティティーが確立されるでしょ?「私ってこの世に存在して良いんだ。喜んでくれる人がいるんだ」って思ってもらいたい。その軸がない人って、心を病んだり、不安になったりしてしまうんですよね。もちろん麻里にも「2人を産んでくれてありがとう」って伝えています。 ーー麻里さんの子育てをしながら、気づいたことはあったのでしょうか。 関根勤: 妻は実家の福島で麻里を出産したので、東京にいた僕は出産に立ち会えず麻里が産まれて1週間後くらいに会いに行きました。妻の姿を見たのは陣痛や産後のダメージが少し緩和されてからだったので、出産がいかに過酷だったかというのをあまり実感しなかったんです。 でも、麻里が出産する時は陣痛中の様子や、出産後に骨盤がゆがんでまともに歩けない様子を間近で見ていました。出産の過酷さを初めて目の当たりにしたんです。孫を育てていると、麻里の大変だった姿が頭をよぎるんですよ。同時にお袋のことも思い浮かぶんです。若い頃は、命をかけて産んでくれたなんて知らなかったから「うるせえな」とか失礼なことを言ってしまいました。気づいたのが遅かった。僕は子どもにも出産を見せるべきだと思います。お袋からは、「すくすく育って、結婚して、孫も見せてくれて、親孝行はちゃんとやってくれたわよ」なんて言われましたけど、もっと優しくしてあげればよかったなと思いますね。 あと、娘を持ったから父親の気持ちがわかるようになりました。ある日、子どもだった麻里を寝かしつけている時に「かわいいなあ。この子も将来結婚して母親になるのかな」なんて思ったんです。その時、「妻もお義父さんにこう思われて、愛されていたんだな。だからお義父さんは結婚式で僕の手を取って、あとはよろしくって言ったんだな」って気づきました。そうやって親から子ども、子どもから孫へとバトンが渡されていくんですよね。 ----- 関根勤 1953年、東京都生まれ。タレント。TBS「ぎんざNOW」の素人コメディアン道場で初代チャンピオンとなり、1974年に芸能界入り。デビュー後、1975年から「ラビット関根」の芸名で活動。1982年にANB(現テレビ朝日)「欽ちゃんのどこまでやるの!?」レギュラー出演の際、番組内容により本名「関根勤」に戻し活動、現在に至る。バラエティ番組を中心に、テレビ・ラジオ、CM、舞台など幅広く芸能活動を行っている。 文:優花子 (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)