まるでSF小説?音楽で共産主義革命を成し遂げようとした昭和の「うたごえ運動」
かつて日本では、音楽によって共産主義革命を成し遂げようという運動が隆盛を極めた時代がありました。このたび、ラジオ番組で、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が、まるでSFの世界のようにトンでもで、アナーキーな昭和の音楽シーン事情について紹介しました。 長髪は反抗と男女平等の象徴だった…昭和歌謡、昭和ポップスから感じるジェンダー意識の変化 ※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』より 【中将タカノリ(以下「中将」)】 1950年代から60年代の日本では、音楽によって労働者による共産主義革命を実現しようというトンでもな活動が盛り上がっていました。それが「うたごえ運動」。 【橋本菜津美(以下「橋本」)】 歌で戦う……まるで『マクロス』みたいな世界観ですね! 当時の日本ではいったい何が起こっていたのでしょうか? 【中将】 まだまだ貧しく社会の矛盾が大きな時代だったので、労働者の待遇改善を訴える労働運動や、社会革命と反戦を訴える学生労働が盛んだったんですね。労働歌や反戦歌、共産主義を世界中に発信していたソビエト連邦の影響でロシア民謡が若者に支持されていました。そういった中、日本共産党やその関連団体は音楽で革命を促進しようと「うたごえ運動」を主導。受け皿として、全国の都市部に「歌声喫茶」と呼ばれるお店ができて、若者が集まり合唱していたそうです。 【橋本】 めっちゃ思想と音楽が結びついてたんですね! 【中将】 はい。「歌ってマルクス、踊ってレーニン」というギャグのようなキャッチコピーが本気で用いられていたようです。さて、ひとまず歌声喫茶でさかんに歌われたロシア民謡を紹介しましょう。まずは加藤登紀子さんが歌う『カチューシャ』(1971)。 【橋本】 想像以上にお洒落で音楽的にもレベル高い! 歌声喫茶で当時の若者はこういう曲を合唱していたわけですね。 【中将】 そうですね、さすが加藤さんといった歌いっぷりです。この音源はロシア民謡を集めたアルバム『ロシアのすたるじい』に収録されたもの。ご両親がロシア料理店「スンガリー」を経営していたこともあり、加藤さんはロシア文化に精通。高校時代には60年安保のデモに参加するなど、共産主義思想にも非常に近しい方でした。 ではもう1曲、歌声喫茶の定番曲をご紹介しましょう。こちらもロシア民謡です。ダーク・ダックスの『ともしび』(1956)。 【橋本】 加藤さんとは一転して重厚! これはどんな内容の曲なんでしょうか? 【中将】 戦地に旅立つ若者と、恋人の別れを歌った曲なんですね。 【橋本】 民謡だけど反戦歌の要素もあるんですね……歌声喫茶って今でも残っているんですか? 【中将】 今でもごく一部に残っているみたいですよ。さすがにもう革命は目指してないと思いますが(笑)。 歌声喫茶は普通の歌謡曲や唱歌なども歌われ、ポップで娯楽性の高い空間だったようですが、これからご紹介する曲はガチの革命ソングです。中央合唱団の『がんばろう』(1960)。 【橋本】 「戦いはここから 戦いは今から」……中央合唱団の絶叫じみた合唱もあいまって怖すぎますね! 【中将】 『カチューシャ』や『ともしび』からは表現の美しさや音楽性を感じますが、この曲はちょっとアレですよね(笑)。『がんばろう』は九州の三池炭鉱で起こった三井三池争議という事件の中で、労働者によって作られた曲です。 当時、石炭から石油へのエネルギー革命で、各地の炭鉱は徐々に縮小。運営会社は退職者を募りましたが、その中で数々のトラブルが発生し、しかも社会主義者の向坂逸郎さんが三池炭鉱を「革命の拠点」として暴力闘争をたきつけたため、死者まで出る騒ぎになりました。 【橋本】 余計なことしちゃったわけですね……。 【中将】 お次は鉄道タレントでもある菜津美ちゃんにちなんで、鉄道系の労働組合ソングをご紹介します。『私鉄の仲間たち』です。 【橋本】 知らなかったです……! 『がんばろう』より全然平和で「団結しよう」って感じですが、こういう曲ってどういうときに歌うんでしょうか? 【中将】 全国の私鉄、バス会社等によって結成された日本私鉄労働組合総連合会……略して私鉄総連という団体があるんですが、『私鉄の仲間たち』はこの団体の組合歌です。今でも組合の大会とかで歌ってるみたいですね。サビでリズムが変わって、ちょっとシュポシュポ感出るのが面白いです。 さて、「うたごえ運動」の活動家たちはかなり凝り固まった思想の持主で、自分たちが制作、推奨する以外の音楽を激しく批判しました。ジャズやポップスはアメリカ帝国の日本への文化侵略、演歌や歌謡曲は単なる大衆迎合、反戦フォークも「資本に泳がされている」「大衆の不満をそらすためのガス抜き弁」……もはやギャグのような主張ですが、リスナーである若者たちの間では次第に「うたごえ」は廃れ、かわりにフォーク、ロックなどの音楽が好まれるようになりました。 【橋本】 かたくな過ぎて時代に合わなくなっていったんですね……。 【中将】 最後はそんな過渡期に若者に支持された岡林信康さんの『友よ』(1969)をご紹介します。社会変革を訴える歌として受け止められ、当時の学生運動やデモの際に歌われるテーマソングのような存在に。岡林さんを「フォークの神様」たらしめた曲の一つです。 【橋本】 当時の若者の団結力や社会を変えようとするパワーってすごいですよね。若者ってまだ社会を知らないからこそ、自分の理想に向かって突き進めるものだと思いますが、現代はみんなあんまりそんな勢いがないので……。「うたごえ運動」自体は決してポジティブなものばかりではなかったのかもしれませんが、ここまで音楽で熱くなれたというのは少しうらやましい気がします。 【中将】 音楽が少なからず社会を動かした、音楽にパワーのあった時代だったんですね。
ラジオ関西