ポンペイの死者たちが迎えた最期の瞬間、DNA分析が長年の想定を覆す
旧来の想定を塗り替える
骨の中には型を取る際に使用した石膏と直接混ざり、信じられないほど脆(もろ)くなっているものもあったが、チームは多数の破片からDNAを抽出、分析することができた。 分析された骨は、考古学公園内に保全された異なる数カ所から見つかっていた。具体的には金のブレスレットの家、地下柱廊の家、秘儀荘などだ。 金のブレスレットの家は階段状の構造物で、色鮮やかなフレスコ画によって飾られている。家の中で死亡した成人が腕輪をしていたことからその名がついた。この成人の腰に子どもが1人またがっている。隣にはもう1人成人がおり、子どもの父親と考えられている。3人とも庭園へと続く階段の下で見つかったが、数メートル離れたところには2人目の子どももいる。恐らく3人が庭園へ逃げようとする中ではぐれたとみられる。 成人2人と子どものうち1人は、階段が崩れたときに死亡したと考えられる。恐らくは近くの港へ逃げようとしていたとみられる。 従来研究者らは、腕輪を着けた人物を子どもの母親と考えていた。しかし遺伝子分析の結果、両者は血縁関係の無い成人男性と子どもであることが分かったと、ライク氏は説明する。成人男性の髪と肌の色は黒かった公算が大きい。 新たな研究から、我々自身が抱く文化的な期待の多くが明らかになったと話すのは、米オハイオ州マイアミ大学で歴史と古典を教えるスティーブン・タック教授だ。タック氏は今回の新たな研究に関与していない。 「我々は女性に対し、人の気持ちを和らげる母性的な存在だろうと期待する。従って人の気持ちを和らげる人物は女性であり、母親だと想定しがちだが、この場合はそうではない」(タック氏) ポンペイの住民の遺体について知見を深めることは、災害で命を失った人々を理解する助けになり得ると、米コーネル大学古典学部のケイティ・バレット准教授は指摘する。同教授も今回の新たな研究には関与していない。 「彼らの関係がどんなものだったにせよ、ここでは誰かが子どもを守ろうとして命を落とした。その人物は子どもの最期の瞬間に人としての安らぎを与えた」 地下柱廊の家は、家屋の地下の通路からその名がついた。通路には屋敷の庭園の3辺に沿う形で隙間が空いていた。家の壁は、ホメロスの「イリアス」をモチーフとした場面で飾られていた。家の前の庭園からは9人が見つかったが、型が取られたのはそのうち4人のみだ。 二つの遺体は抱き合っているように見えることから、考古学者らは姉妹、母娘、恋人同士といった仮説を立てている。 新たな分析の結果、一方の死亡時の年齢は14~19歳。もう一人は若い成人だった。一方の性別は推定が不可能だが、他方は遺伝子上男性に分類された。 秘儀荘の名は、紀元前1世紀に描かれた一連のフレスコ画に由来する。そこには酒や豊穣(ほうじょう)、宗教的恍惚(こうこつ)の神とされるバッカスに捧(ささ)げる儀式が描かれている。論文著者らが明らかにした。邸宅には自前のワイン圧搾機がある。当時の裕福な家族の間で普及していた設備だという。 邸内からはいくつもの遺体が見つかったが、それぞれ噴火の異なる時点で死亡したのは明らかだった。女性と思われる2遺体と子どもの遺体は、邸宅の低層階で倒れた状態で見つかった。一方、6人の遺体は同じ邸宅を覆った灰の堆積(たいせき)物の中で息絶えていた。このことから6人は噴火の第1波を生き延びたものの、その後で死亡したとみられる。 一人の人物が見つかった部屋には、鞭(むち)と銅貨5枚があった。この人物は女性の小像がついた鉄製の指輪をはめていた。細身の男性で身長は185センチ。衣服の痕跡に基づいて判断すると邸宅の護衛で、最後まで持ち場を離れなかった公算が大きいと研究者らは指摘した。