「大人が夢を語れ!」柳川高校復活のきっかけをつくった“絶校長先生”古賀賢校長・理事長。テニスでは「選抜から全米オープンジュニアチャンピオンを出す」【テニス】
――柳川高校にいる生徒の家庭環境もさまざまですし、その中で学校が掲げている3つの目標に向かうことは容易ではないと思います。著書にもあるようにそれは古賀校長が夢を語るところから先導してきたところをお話しいただけますでしょうか。 「校長が『夢を語る』ことが大事だと思ったきっかけは、イギリス留学時代にサンデーチャーチ(日曜礼拝)に行っていた時の経験にあります。牧師さんがいろんな話をする中で、世の中のことや愛のこと、家族のことなどを話す姿が印象的で今でも覚えています。子供たち(柳川高校の生徒)に私が何を伝えたいかと言えば、大人が一生懸命に夢を語る姿と大人が夢を追いかけている姿です。私たちが掲げる『宇宙修学旅行』というのは本気でやっているわけで、『夢を語って実現できるんだ!』という姿を見せ、子供たちも実現に向けて動いている実感があると思います。先生たちも生徒と同じように影響を受けていて、『夢を語ることが恥ずかしい』とは感じなくなっていると思います。トップがそういう背中を見せることで、現在の校風へと変化して行ったように思います」 ――古賀校長はジュニア時代に将来を嘱望された選手の1人だったように思います。日本のジュニア選手をグランドスラムに引率したりする中でどのような視点で選手を見ているのでしょうか。 「日本には素晴らしいコーチの方々がたくさんいらっしゃいます。私自身は技術の指導者ではないので、教育的な視点から見ています。現在の日本のジュニア、部活の選手の実力は十分世界に通用すると思っています。日本的な言い方をすれば心技体のうち、身体とスキルの部分では戦えると感じています。ですが、心の部分、『マインドと経験の差』は世界との大きな差を感じますね。私は教育的な立場でしかお話ができないのですが、学校教育や家庭教育、コーチングの環境でどれだけ世界を身近に感じさせるか、というところが大切なのではないかと思っています」 「みなさんも記憶にある言葉で野球の大谷翔平選手がWBC決勝戦前に『憧れるのをやめましょう』と言ったあの一言が日本の教育を象徴していると思っていて、日本人選手が世界で戦っていく上で乗り越えなければいけないマインドだという風に感じています。彼が日本とアメリカに住んで勝つために必要な一言だと気づいたのではないでしょうか。テニスは個人競技であり、コートに入れば一人でいろんなことを決断しなければならず、そういった面で見ると日本人にはまだまだ弱い部分もあるのではないかと思うこともあります」 ――古賀校長ご自身がイギリス留学当時にチャレンジャーなどツアーを回っていた頃に比べ、技術面やマインドなど当時と現在の違いのようなものを感じることはありますか。 「私が当時イギリスに住んでいながらも、世界の舞台というのは存在が遠かったですね。テニスの試合をする前にマインドで負けていた感じがありました。ヨーロッパのサテライトを回っていてもどこか心が萎縮してしまい、近づくことができなかった。しかし、30年経った今、ジュニアを含めた選手のみなさんにとって世界との距離感が縮まってきていることは確かだと思います」 ――それでもパット・キャッシュ(1987年ウインブルドン優勝)とも打ったことがあるとか。 「オーストラリアの選手と練習をしている時に来られて偶然、彼が現役で一番強い時に練習してもらうことができました。15分か30分ぐらいの練習時間でしたが、私が一番上手になった瞬間だったかもしれません。彼に『もう一度練習して欲しい』と言われたいじゃないですか。当時のアジアはテニスの後進国であったし、私自身、練習相手を見つけるのに大変でした。そういう中でパット・キャッシュと練習できた時には、『下手に思われたくない』『上手く打とうとする』などいろんな意味で一番人間の醸し出すものを自分の中に感じました」 ――潜在的なものが引き上がっていく感覚があり、本物と対面する機会の緊張感も伝わってきました。さて、昔から親交もある松岡修造さんについて、情熱や熱意を前面に出して行く姿勢に共通しているところを感じます。 「一番尊敬する人と聞かれたら絶対に“松岡修造”と答えています。親友でもありますが、誰に聞かれてもそう答えています。まだ彼が選手としてサテライトでヨーロッパを回っていた頃のことです。イギリスの私のところに泊まっていたことが何度もあり、まだお金も稼げていない時に私の部屋から試合会場に向かっていました。その時の彼のテニスに対する姿勢は素晴らしいものがあった。食べ物や身体に関することなども含めた選手時代のことも尊敬していますし、今は日本にあれだけ元気を与えてくれる人っていないのではないでしょうか。日本を熱くしてくれる彼の存在というものが、私の身近に居てくれるということが私の人生と柳川高校を変えてくれたと思っています。修造くんが日本をこんなに明るくしてくれているみたいに、私は日本の教育界を明るくしたいと思っているんだ、という話をしたことがあります」 ――「国際男子オープンテニス2024年柳川」やクラウドファンディングでスタッフ65名の「国際テニス大会オリジナルユニフォームを作りたい!」プロジェクトなどでは高校生が自立し、実現を目指しました。 「実は高校でITFの大会をやるのは世界で初めてだ、というお話をITFからいただいたんです。柳川高校のスピリットとしては、いろんなことをやるのに『世界初』か『日本初』しかやらないと私は先生たちに言っています。そうすることで生徒も先生も自分たちで考えてクリエイティブになるからです。これが今の日本の教育にとっては大切だと思ってITFの大会をやると決めました。また、柳川高校はテニス界の大勢のみなさまからご支援をいただいて、今があります。その中で何か貢献ができないものだろうか、と常々思っていました。日本の選手が世界に出る足がかりとして、M15の大会が日本になかなかないんだといいます。これからプロを目指していく上で、ポイント獲得の大切さというのを知っておく必要がある。正直、高校が主催するので(ITFの)ジュニア大会を、というお話もあったのですが、プロを目指す最初の段階の大会を誘致しよう!ということで『テニス界への貢献』を目的としてプロの大会を開催しました」 ――ITF大会を高校生が運営するという画期的な大会であり、高校にプロが来て生で選手のプレーや立ち振る舞いを見て体感できる。素晴らしい『教育』だと思います。 「せっかく高校が主催するのであれば、大人が運営するのではなく生徒たちでやる、トーナメントディレクターも高校生が担当する、ここもテニスという枠にとらわれず、”個”を育てる、クリエイティブであるといったような教育目的に沿って進めたプロジェクトです」 ――古賀校長は「テニス人」でありながら「絶校長」としてその活動が多岐に及んでいますが、トラブルもあるかと想像します。その際、どういう視点で対応されているのでしょうか。 「私は『トラブル最高!』と。これは常に言っています。自分自身の経験でもそうですが、何もないより、何か起こった時の方が解決する力が育つと思います。もちろん(トラブルは)嫌ですよ。嫌ですけどね。学校生活の中で当然いろんなトラブルというのはあるのですが、そのケースはさまざま。ミスもあれば、ボタンの掛け違えのようなものから、良かれと思ったことが違うなど。その度にいつも新鮮に、そこに120%の想いを込めて取り組んでいます。小手先でやってしまうと問題解決には至らないですから」