小林一三の夢 阪急の職業野球団結成 計画が「漏れ」阪神の後に 昭和100年だヨ 全品集合 阪急ブレーブス編
「阪急編」の最終章は『阪急ブレーブス』。テーマを《思い出せ!》にしようと思った。ところが、友人から「思い出すもなにも、阪急ブレーブスを知らない人が多くなったんやない?」との指摘。昭和63年のシーズンオフ、オリエント・リース(現オリックス)に電撃譲渡して以来、今年で36年がたつ。確かにその通りだ。そこで《知ってほしい!》の思いを込めて阪急ブレーブスを綴ってみよう。 【写真でみる】阪急の本拠地だった西宮球場。競輪場としても活用された(平成13年8月撮影) 日本にプロ野球、いわゆる「日本職業野球連盟」が読売新聞の総帥、正力松太郎の呼びかけで発足したのは昭和11年2月5日だった。初年度の加盟は7球団。結成順に並べると―(カッコ内は球団名。=以下は母体企業)。 ①大日本東京野球倶楽部(東京巨人)=読売新聞 ②大阪野球倶楽部(大阪タイガース)=阪神電鉄 ③大日本野球連盟名古屋協会(名古屋)=新愛知新聞 ④東京野球協会(東京セネタース)=旧西武鉄道 ⑤大阪阪急野球協会(阪急)=阪急電鉄 ⑥大日本野球連盟東京協会(大東京)=国民新聞 ⑦名古屋野球倶楽部(名古屋金鯱)=名古屋新聞 連盟総裁には大隈信常(重信の養嗣子)、相談役に正力松太郎と阪急電鉄会長の小林一三が就任した。実はこの結成順にドラマが隠れている。 小林一三が《日本でプロ野球連盟ができる》の一報を聞いたのは10年10月25日、米国視察中のワシントンでのこと。大阪毎日新聞社の支局長が同社専務からの電報を手に小林が滞在するホテルにやってきた。 当時のことを一三は日記『日々是好日』の中でこう綴っている。 「十月廿五日 金 快晴 大毎の支局長来訪。本社からの電報によれば『阪神が職業野球団を編成することに決まったが、阪急もそれを実行するならば、出来る丈、大毎は尽力するから』という御注意であった。阪急がかねがね計画して土地も買収契約済の西宮北口にグラウンドを作り、職業野球団を設けるといふ方針が漏れたのではあるまいか。それが為に阪神が急に着手したものとすれば、阪急としても今更内密にしても仕方ないと思ふから、副社長に電報した」 その電報が『大毎に相談して北口運動場併に職業野球団設置 至急計画願ひ渡し、返事待つ』である。