「10・19」は思い出としては何にもない 9分間の抗議は道義的な部分が原因・有藤通世さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(36)
▽観客がいっぱいでびっくり。でも、もっと驚いたのは… あの時、抗議を9分もしました? 自分では、そんなに長いつもりはなかった。仰木さんが出てこなかったら4分ぐらいで帰っていた。近鉄にしてみると、もう1イニングいきたかったでしょうね。僕は近畿大出身で、その年のオフも監督や大学の先輩に会いに大阪に行った。そしたら、ぼろくそに言われましたよ。街を歩いていても「有藤の馬鹿野郎」と。飲み屋に行ったら、あんたえらいことするなと、男から因縁をつけられた。 僕が1試合目の始まる前に選手に言ったのは、たまたま近鉄の方が、うちに勝てば優勝というところまできて、マスコミの人たちにしても世間の野球ファンにしても興味持って見てるから、自分の名前を上げる野球をしろと。一番気にしたのは高沢秀昭の首位打者争い。タイトルを取らさなきゃいけない。高沢に「取りたきゃ取れ。使うぞ」と言った。1本でも打ってくれればいいなと思ったら、打ってくれましたからね(高沢は第2試合に2安打をマーク。最終的に阪急の松永浩美を1厘差抑え、打率3割2分7厘で首位打者を初受賞した)。
「10・19」は苦い思い出でも、いい思い出でもない。何にもないです。思い出として語るんであれば、川崎球場にお客さんがよく入ってくれたなと。先輩の言葉によって頭にきて、変な行為をしたというところになるんですかね。しかし、あれだけの人が集まるとは(観衆3万人)。第2試合の途中から、ものすごく人が増えました。僕のところから見える客席は外野の右中間からネット裏まで。こっち(一塁側ベンチ)の上は見えなかった。古川の抗議に出て行った時に、いっぱいでびっくりしました。でも、その時の1試合目と2試合目の間に、阪急が身売りしたというニュースが来た。そっちの方がびっくりしましたね。 × × × 有藤 通世氏(ありとう・みちよ)高知高―近大からドラフト1位でロッテ入りした1969年に新人王。プロ野球で初めて新人から8年連続20本塁打以上をマーク。77年は首位打者。三塁手でベストナイン10度。名球会入り条件の2千安打は85年7月にパ・リーグの大学出身選手で初めて到達し、86年に引退した。通算2057安打、348本塁打。87年からロッテ監督を3シーズン務めた。46年12月17日生まれの77歳。高知県出身。