新型復活か? 80~90年代に愛された「三菱・パジェロ」が今の私たちに残したもの【懐かしの名車を振り返る】
三菱自動車工業(以下、三菱)が手掛けてきた「パジェロ」は、初代が1982年に登場。今の30代以上の人には、SUVと言えば「パジェロ」(と、スバル「レガシィ」)って印象が強く残っているんじゃないだろうか。 【写真集】三菱「パジェロ」:新境地を切り開いた日本の名作SUV なにしろ、「パジェロ」は全方位的に良くできていた。大排気量エンジンや高性能ドライブトレインによるぜいたくな性能、今の言葉で言えば“ライフスタイルビークル”として幅広いニーズに対応する車体バリエーション。それに国際ラリーでの圧倒的な強さ。 1980年代から90年代にかけて、パジェロと真っ正面から戦えるだけの力をもった高性能の量産SUVは、海外には存在しなかったと言ってもいいだろう。 特に「パジェロ」を印象づけたのは、1991年に登場した第2世代だ。開発の背景は、海外市場でクロスカントリー型4WD(本格的なオフロード性能を持った4輪駆動車)のニーズがあったこと。三菱は「ジープ」をつくっていたが、ライセンスの関係で輸出はできず、別のモデルの需要が強く認識されていたのだ。 「国内市場でも個人ユーザーのレジャーユースなど今後の四輪駆動車の需要増加が見込まれ、三菱独自の四輪駆動車の開発機運が高まっていました」。三菱は「パジェロ」開発の背景を同社ホームページでもこのように記している。 実際、80年代にRV(レクリエーショナルビークル)ブームが起こり始めていた。しかし乗用車ベースが主体で、オフロードテイストを強調した車両は、ラダーフレームに固定式サスペンションと、本当にオフロード向きだった。 日本でも三菱の宣伝が功を奏しており、パリダカで優勝した「パジェロ」はすごい、という認識が一般に広がっていた。ソフトイメージも大事と、三菱では87年に松任谷由実さんを現地に招いて「ユーミン・マリクレール号」を走らせたのも、当時、筆者の近くにいた人たちが関わっていたこともあり、鮮烈に覚えている。 国内では初代は約16万台、第2世代は約39万台が販売された。99年に発売された第3世代は残念ながら6万台に届いていない。「パジェロ」といえば第2世代の印象が強いのは数字も物語っている。篠塚建次郎氏という日本人ドライバーが、97年にパリダカで優勝したのも、第2世代の印象をより強いものにした。 第2世代「パジェロ」は、最もベーシックなショートボディの「Jトップ」が約205万円。最も高価な「ミッドルーフワイド3.0G VRスーパーエクシード」が約367万円。当時としては価格面でも立派な高級車だった。