無名の3番手PGからの下剋上 川崎の新星・小針幸也、バスケ人生の転機になった8年前の1試合
8年前の試合は「今につながる分岐点でした」
筆者が小針の存在を初めて知ったのは、彼が桐光学園高校の2年生だった2016年秋のウインターカップ予選決勝だった。 中学日本一に輝いた県選抜の主要メンバーがほぼ揃ったこの年の桐光学園は、ぶっちぎりで県を制すると思われていたが、同じ川崎市にある法政大学第二高校を相手に苦戦していた。 決勝を前に先発のPGは絶不調。2番手のPGは前日に負傷して出場できない。それまで県上位の公式戦にほぼ出たことのなかった3番手PGの小針だったが、ほぼぶっつけ本番の出場にもかかわらず素晴らしいパフォーマンスでチームの流れを変え、大量リードを呼び込み、チームを勝利に導いた。 「あの活躍は衝撃的でした」。8年前に見た光景についてそう伝えると、小針は「いや、僕自身が一番びっくりしました」と笑って当時を振り返った。 「何をしても上手くいく、みたいな感じでしたよね。シュートも全部入って、確か15点くらい取ったんじゃないかな。たぶん法政も『あいつ、誰?』って、めちゃくちゃびっくりしたと思います」 小針が言うとおり、当時の彼は全国はおろか、神奈川県内でもノーマークの存在だった。ミニバス・中学と市選抜にも入れず、中学は横浜市大会予選の2回戦負けで引退。市選抜の選考会で仲の良くなったキング開(現・横浜ビー・コルセアーズ)らと、推薦がもらえない仲間たちみんなで近所の公立高校に進もうと話していたくらいだ。 しかし、桐光学園に進んだミニバスの先輩から「一度練習に来てみたら?」と声をかけられた。「絶対に無理」と思ったが、監督の前で良いプレーを見せることができ、とんとん拍子で推薦の話が届いた。 法政第二との決勝に勝利後、桐光学園の高橋正幸監督に小針について尋ねると、「隠していました」と満面の笑みとともに言われたことが今も忘れられない。 「3年生がいたから今まで出られていなかっただけで、小針は元々力のある選手です。県大会に出たこともないし、地区選抜にも選ばれていないけれど、ガッツマン。オフェンシブで負けず嫌い。これから上級生を超えるような選手になってくれるんじゃないかなと思います」 恩師が8年前に語っていたその言葉を伝えると、小針は「懐かしいな」とつぶやき、「あの試合は今につながる分岐点でしたね」と続けた。 「練習では先輩たちとけっこうやり合えていたので、『いつ出てもやれるのにな』みたいな感じはあったんですけど、あの試合以降はさらに自信を持ってプレーできるようになりました」