100回目の早明戦を前に両校監督に聞く(上) 現代ラグビーの中で「タテの明治、ヨコの早稲田」のDNAは?
「タテの明治、ヨコの早稲田」のカラーは薄まったのか
―長年、「タテの明治、ヨコの早稲田」と言われ、その対称性がファンを魅了してきました。現在は昔よりカラーが薄まってきているかもしれませんが、タテとヨコへの思い・こだわりをお聞かせ下さい。 大田尾 うちは明治のタテの圧力にどれだけ対抗するかというところが、ディフェンス面ではすごくあるので、そこの対抗心はありますよね。で、ヨコの早稲田というところで言うと、ボールを動かしてスコアするというDNAは今もありますので。全体的な絵として、スクラムとかモールとか分かりやすいところにタテとヨコが集約されているのかなと思う。なかなかね、ラグビーが少し変わってはいるものの、タテの圧力は明治さんは素晴らしいものがあるし、早稲田としては展開力で負けられないという思いは今もあります。 神鳥 シンプルに明治の「重戦者FW」と言われている迫力、躊躇(ちゅうちょ)せず一歩でも前に進むラグビーは長く愛されてきてますし、ここは失わずに継承していく使命があると思っています。とはいえ現代ラグビーって、あらゆる面において情報がすごくオープンになって、強化手法やフォーカスするポイントはどこも似通ってくる。そこにどうやって色を出すか。現代ラグビーにコミットした新しい戦術や新しい能力を取り込みながら、進化していきたい。 昔は本当に色が濃かった。スクラムでは早稲田は必死になってボールを出して、で展開したら(今度は)明治がついていけない、みたいな。見てる人はコントラストが付いて面白かったと思うんですけども、今はディフェンス力が物すごく向上しました。相手にスペースを与えないシステム。今はボールキャリアに余裕が無くなっているので、そういう部分で圧倒的な破壊力を見せるのはどんどん難しくなってきている。
北島監督は「言葉の重み・存在感がすごかった」
―明治といえば、67年間指揮を執った北島忠治監督。神鳥監督は北島監督の教えを受けた最終盤の世代ですが、最も心に残っていることは? 神鳥 我々が4年生の時に亡くなりました。だから我々のとき黒襟で戦ったんですよね。指導はほとんど受けてないんです。大学2年生の時に倒れられたので、そこから2年近くずっと療養されてて、グラウンド戻ってこられることなく、亡くなられたんで。ただ2年生の途中ぐらいまではグラウンドに来られる姿っていうのは見てる。 諸先輩方から北島先生の話いっぱい聞くんですよ。いきなり(選手を)集めて「試合するぞ」とか「今から出たいやつ手あげろ」とか。(僕のときは)そういうのは無かったんですけど。だけどやっぱり言葉の重みはありましたよね。声かけられるとぱっとなるっていうか。存在感がすごくありました。はい。