100回目の早明戦を前に両校監督に聞く(上) 現代ラグビーの中で「タテの明治、ヨコの早稲田」のDNAは?
ラグビーの認知、一般への接点として大きな役割
―早明戦が日本のラグビー界に果たしてきた役割を、どう捉えますか? 大田尾 対抗戦の一つである早明戦を、NHKが全国放送されてきたということは、ラグビーの全国的な認知という意味ではすごく大きな役割を果たしていると思いますね。実際私も早明戦は比較的簡単にテレビで見られるということで(見てきた)。日本の大学生のトップレベルのラグビーに触れることができる機会として、ラグビー界にとってすごく意味のあるものかなと思いますね。 神鳥 全国放送があって国立競技場がいっぱいになるスポーツって他にはない。そこに見に来られた学生や観戦する人たちが将来「行ったことがある」とか「見たことがある」とか、潜在的なラグビーの観戦経験者(になった)って人が実は物すごくいるんじゃないかと思うんです。なので、対抗戦という意味合いを超越した、応援する時の一体感とか、学生時代の思い出とか、下馬評通りに行かない熱い試合を見て一生の思い出にするとか、ラグビーという競技面以外の部分でも、いろんな役割を果たしていると思います。
下馬評通りにならぬ、最後までわからない試合
―「雪の早明戦」など名勝負は数多いですが、お二人が最も印象に残っている試合は? 神鳥 難しいなあ。早明戦って、最後の最後まで結果が分からない。自分がプレーしてたってこともあるんですけど、大学3年生の時の早明戦(1995年度)がすごく印象深いです。ラストワンプレーまで勝ってて、しかも相手陣の22mまで押し込んで、そこでマイボールでキープしてたんですけれど、一つのノックオンで、そこからボールつながれてトライまで持っていかれて逆転されて終わった。もう勝ったと思いますよね、このシチュエーション考えたら。 自分自身経験したっていうか、足が止まったんですよね。明治がノックオンして、スクラムになるだろうと思って足止まったら、そのボールを早稲田はパッと拾って、アドバンテージ切らずにボールつなげてトライしていく力が向こうはあった。何が起こるかわからないという経験をした。我々も最後まで攻めましたし、で攻めた結果ノックオンしたボールをそのまま拾われて…。 ―あっぱれという感じですか? 悔しかったですね。敵をたたえるほどまだ大人じゃなかったです(笑)。ぼうぜんとしてたのは思い出しますね。試合のときは何が起きたか分からなかった。 大田尾 雪の早明戦も印象に残っていますが、僕が大学1年生の時(2000年)の4年生の試合が、非常に印象に残っています。その年帝京にも慶応にも負けて下馬評は明治の方が圧倒的に有利と言われている中で、やっぱりその試合に懸ける4年生たちの意気込みを目の当たりにした(46-38で早稲田の勝利)。僕は早稲田1年目で「これが早稲田の力なんだな」と感じたのは非常に印象深いですよね。 ―大田尾監督もやはり出場した試合を挙げられたということですね。早明戦は下馬評がどうであっても結構接戦になるというのは、互いに他の試合とはちょっと違うわけでしょうか。 やっぱり集中力を作りやすいですよね。監督をしていて思いますが、波がある中で、ピークを持って来やすい、分かりやすいところがあると思います。なので、その時々の下馬評があるのでしょうが、接戦を演じてきたっていうのは、やはり昔も変わらないのではないかと思います。