「今日は円谷君のために走ろう」…メキシコ五輪・マラソン銀メダリスト「君原健二さん」が明かした「あの日、なぜ後ろを振り返ったか」
「トレス!」「ドス!」
「すぐ後ろに黒いシャツ!」 レース終盤、35キロを過ぎた勝負どころで、沿道から大きな叫び声が聞こえてきた。1968年10月20日、メキシコシティオリンピックのフィナーレを飾るマラソン。君原健二が耳にしたのは、同じ八幡製鉄に勤め3000メートル障害に出場していた後輩選手の興奮した大声だった。【飯田守/ライター、編集者】 【画像を見る】「開運!なんでも鑑定団」で驚愕の値がついた東京五輪の記念スカーフ。所狭しと代表選手のサインが書き込まれている (全2回の第1回)
その時、君原は、藻掻き苦しんでいた。会場となったメキシコシティの標高2200メートルの薄い酸素との戦いだけでなく、25キロ過ぎから催してきた便意と、さらには下腹部を突き上げてくる痛み。ひたすら耐えることに、その意識はとらわれていた。 だが、自分が2位を走っていることだけは自覚していた。それは少し前に沿道の大観衆のあちこちから、「トレス! (tres/3)」と声がかかり、それからしばらくして、歩いている選手を抜き去った時に今度は「ドス! (dos/2)」と大声援をうけたことから、順位を確信することができていたのだった。 君原はメキシコの地を、プレ五輪や合宿を含めそれまでに4回訪れている。 「その時にスペイン語が分からなくて、町なかで物を買うにしても値札が付いていないので相手の言うがままに高買いさせられた苦い経験があります。私はケチだから、買い物で損をするのは嫌。そこでスペイン語の数の数え方を100まで覚えることにしました。それがオリンピックの本番で、自分の順位を知る思わぬ形で役立つことになったのです」 だが腹痛は半端ではなかった。途中でトイレを探して駆け込もうか、そうすれば大きく順位を落とすことになってしまうだろう、でもこのままだとどこまで持つかわからない、もし抜かれても何とか表彰台は確保できるだろうか、そんな葛藤と疲労の二重苦の中で、首を大きく左右に振りながら走り続けた。
後ろを振り返った記憶がない
君原はそれまで走った国内外の19のマラソン大会で、後ろを振り返った記憶がない。その理由は単純だった。 「振り向くことで体のバランスが崩れペースが乱れる可能性があるからです。さらに体を少しでも軽くした方が負担も少なくゴールへ近づけると考え、必要ないと判断したランニングシューズの踵の部分のスポンジを取り除き、靴下も履かず、腕時計も外し、視力は0.1か0.2でしたけど眼鏡もかけずに走りました」 後ろを見ないことも「無駄を省く」一環だった。だがメキシコでは違った。ゴールの競技場「エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ」が前方に見えてきたとき、我慢しきれず思わず後方を振り返った。 「はっきりとわかりませんが、200メートルくらい後ろに迫ってくる黒いシャツが見えました。競技場が近づくにつれ、ここまで来て絶対に抜かれるわけにはいかないとの一心が強くなり、その意欲だけでゴールをひたすら目指しました。ラストスパートをかけたつもりですが、実際にそこからどれだけスピードを上げられたかは全くわかりませんでした」 首だけでなく体全体を捩るような独特のフォームでゴール板を通過した時、黒いシャツは14秒後、わずか80メートルにまで迫っていた。