石川県の漆芸文化を絶やさないために。産地を超えた作家や職人たちによる『うるしで紡ぐ未来』展が加賀市美術館で開催中
コロカルニュース
石川県では、「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」「木地の山中」といわれるそれぞれの特色を生かした漆芸が受け継がれてきました。しかし、2024年1月1日に起きた能登半島地震で、輪島の漆芸は甚大な被害を受けます。 【写真で見る】工具として仕えない、何の役にも立たないものを漆でつくる。そこに面白みや新しい漆の技が生きています。『工具箱』〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉 石川県加賀市の山中温泉や山代温泉では現在も、二次避難先として輪島の漆芸にかかわる職人たちが生活されています。しかし、家屋や工房の倒壊で生活再建に追われるなか、道具を失い、制作する場もない職人たちは、仕事の再開のめども立っていない状況です。 そんななか〈加賀市美術館〉では、同じ漆芸の産地として漆芸界を応援する企画展を実施しようと、学芸員の洞口寛(ほらぐちゆたか)さんを中心に、約4か月という短いスケジュールのなか、開催へとこぎつけました。そこには、伝統工芸である漆芸の火を絶やしてはいけないという強い思いと、不思議な縁に引き寄せられた出会いがありました。 「企画展を開催するにあたり、最初は〈石川県輪島漆芸美術館〉に相談しましたが、『美術館の被害が大きいため、貸し出せる状況ではない』といわれました。あの被害状況のなかではそうだろうと思いますし、輪島の作家さんも被災している状況なので、作品を出してとほしいといえず、企画自体が難航してしまいました」と洞口さん。 そんなとき、京都の古美術店が立ち上げたプロジェクトに、輪島の〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉の名前を見つけたといいます。 「〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉の代表である若宮隆志(わかみやたかし)さんのことは、世界的にも有名な鍛金家・山田宗美(やまだそうび)の『鉄打出兎置物』をモチーフにした作品を乾漆でつくられたのを見て気になっていました。山田宗美の『鉄打出兎置物』は加賀市美術館が所蔵していることもあり、これも縁ではないかと、声をかけさせていただいたんです。すぐに快諾をいただき、そこから、山中漆器の工房や作家さんにも依頼し、何とか開催にこぎつけることができました」と洞口さん。 復旧もままならないなか、手探りで動き始めたことが、漆芸界の応援への一歩となりました。これは“ウサギがつないだ縁”といえる出会いだったようです。 「今回、この展覧会でふたつのウサギの作品を並べて展示しています。山田宗美のウサギは鉄でできているのに鉄に見えず、若宮隆志さんのウサギは漆でつくっているのに鉄に見えるんです。ふたりの技が時空を超えて、実感できる貴重な展示となっています」と、洞口さんは熱く語ってくれました。 ■先のことはわからないが、まず一歩踏み出したい。〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉がすぐに活動を再開できた理由 能登半島地震の被害は、孤立した地域や、二次災害による輪島の朝市周辺の全焼など、全貌さえもなかなかつかめない状況が続きました。何からスタートしたらよいのか、日々の生活さえままならないなかで、〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉は、すぐに職人への義援金を立ち上げたといいます。それが震災発生から5日後のことでした。 〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉でマネージャーを担当する台湾出身の高禎蓮(たかていれん)さんは、こう話します。 「震災後すぐに、これまで支援をいただいていた国内外のお客様から『支援したい』『何を送ればいいか』という問い合わせをいただきました。そこで若宮とも相談し、確実に職人さんの手に届けられるよう、支援をお金に限定し、時間がかかってもいいので、漆に関した返礼品ができるようにと考えました。これも漆の仕事を再開するひとつの方法になるんじゃないかと思ったんです」 いち早く動き出した結果、職人さんたちに義援金を渡すことができ、アパートを借りるなど、生活の基盤を整えてもらうことにつながったそうです。さらに、県外に帰省中だったため被災していなかった若い職人の女性ふたりが、すぐにSNSでのサポートを開始。テレビや新聞ではキャッチできない職人さんたちの安否確認や、避難所の情報などを調べてくれたのだとか。 彼女たちの素早い行動もあり、職人さんたちへすぐに義援金を渡せたことが新聞などで大きな反響を呼ぶことに。支援する側も目に見えたかたちで職人さんたちを支えることができ、日本の伝統美である漆芸に関心を持ってもらうきっかけにもつながりました。