石川県の漆芸文化を絶やさないために。産地を超えた作家や職人たちによる『うるしで紡ぐ未来』展が加賀市美術館で開催中
活動を再開の中心になった若手職人
■活動を再開の中心になったのは、〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉に勤めて7年目になる若手職人・生田圭さん SNSでのサポートをしていた若手職人のひとり、生田圭(いくたけい)さんは、震災からの日々をこう振り返ります。「震災当日は実家の京都にいたのですが、帰る場所がなくなったことが一番不安でした。マネージャーの高さんの活動拠点が金沢だったことから、私もすぐに金沢に家を借り、高さんの仕事のサポートをしようと考えました。輪島にいたときは、ものづくりに集中できていたのですが、金沢では事務作業もあり、助成金の申請に多くの時間を取られるなど、ものづくりの時間を確保するのが大変で、もどかしくもありました」 彼女たちのこういった頑張りもあって、〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉は、ほかに類をみないほど早く、震災後のイベントなどに出展できるようになります。 キャンセルした展覧会はいくつもありましたが、以前から決まっていた香港での展示会は、若手の研修も兼ねて彼女たちを連れて行ったといいます。 「海外でもたくさんの方々が心配してくださり、ご支援もいただきました。それが終わってからは、つくり手の中心である生田たちの生活を安定させ、仕事を再開できる状況にしなければと、金沢に作業場も借りたんです。今は、彼女たちには、制作だけでなく、展示会やイベントなどにも関わってもらっています。それが私たちにも大きな強みとなりました」と高さん。 ■震災が若手職人たちの技術や感性を見てもらうきっかけにも 〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉には、見立漆器といって、漆器には見えないものを漆芸の技術を使って表現する作品が多数あります。それらは、伝承されてきた技術だけでなく、今の自分たちが生きているなかで感じるもの、それを、漆を使って表現していくことを目指しているのだといいます。 「ここでは、一から十まで教えてくれるわけではありません。出されたテーマに対して、若宮さんや職人さんたちと対話を繰り返しながら、自分の中に落としこみ、自分の持っている知識や感覚で表現できるよう、実験しながら自分のものにしていきます」と生田さん。 今回、出展されている「変わり塗り」の技法で制作されたシリーズ作品の一部は、生田さんの作品となっています。 マネージャーの高さんは、次のように語ります。「『輪島塗』というように伝統工芸としてブランド化されたのは、日本の伝統工芸に関する法律に基づいた『伝統的工芸品』の指定ができてからです。それ以前の輪島にあった漆芸の技術は、こんなことを表現したい、こんなかたちを実現させたいという、職人同志の技の競い合いにより、実験を重ね、生まれてきたものです。そういう漆を切磋琢磨しながら塗りの技術や蒔絵表現を伝承してきたものが輪島の漆芸だと思います」 ■今までにない産地を越えたつながり。漆の技術を高め合う展示会に 「〈漆芸アート集団 彦十蒔絵〉のように若い方たちの才能を発掘し、新しいことに挑戦している人たちがいる。それが漆という素材の持つ可能性であり、漆という素材の持つ表現の無限性だと思い、そこから『うるしを紡ぐ未来』というタイトルが生まれました」と、企画者の洞口さん。 山中漆器の組合に声をかけたところ、初めは戸惑いの声も聞こえたそうです。