箱根駅伝・山登り5区の残り500m、連覇目指す順天堂大に「まさか」…エースの3年生「何としてもゴールまで」
今井さんは後輩にも頻繁に声をかけた。「自分も不安なんだ」。大会前のミーティングで、仲間を引き締めるため、涙を流して訴えたこともあった。憧れの存在だった。
エース区間の2区を任された2年の時、「陸上人生で一番の喜び」に浸った。主将の今井さんが首位に立ち、チームは6年ぶり11回目の制覇を果たす。ゴールの東京・大手町で仲間と抱き合った。
10人のメンバーのうち、卒業した4年生ら7人が抜け、3年生ながら主力になった。「自分が引っ張っていかなければ」。07年5月の関東学生対校選手権で、1万メートルの自己ベストを更新し、日本人トップの2位。絶好調だった。
「今井の後継」不安から腹痛…大一番で食事制限
「今井の後、山登りを託せるのは小野しかいない」。仲村さんはそう思っていた。馬力のある走り、精神的な強さ、足の運び方……。登りに適性があった。
順調だった歯車は、5区を走ることが決まった秋頃に狂い始める。「今井さんのように走れるだろうか」。不安に襲われ、練習中、急に横腹が痛み始めた。怖くて食事を十分にとれない。
1日に4000キロ・カロリー程度が必要なのに、ひどい時は、おにぎり一つ(約170キロ・カロリー)で過ごした。それでも、走り出すと腹がキリキリと痛んだ。
間もなく、左足のアキレス腱(けん)に違和感を覚える。「こんなことで大丈夫なのか」。精神的に追い詰められていく。決定的だったのがレース直前、2区を走る予定の4年生エースの故障欠場が決まったことだった。
「自分が山登りで順位を上げるしかない。もし、途中で腹痛が起きたら、大変なことになる」。取った行動が、大一番での食事制限。今なら無謀だとわかる。「後悔しかない。食べていれば、棄権はなかった」
歓喜の優勝から1年で、天国から地獄へと突き落とされた。「テレビの中の出来事」だと思っていた途中棄権を、自分がしてしまうとは。その後の記憶はほとんどない。監督からかけられた言葉も、尊敬する今井さんに励まされたことさえも。