箱根駅伝・山登り5区の残り500m、連覇目指す順天堂大に「まさか」…エースの3年生「何としてもゴールまで」
小野裕幸さん、まっすぐ走っているつもりなのに…
まっすぐ走っているつもりなのに体が傾き、右へ左へと蛇行する。意識ははっきりしていた。沿道の声援も聞こえる。「何があっても、タスキだけはつなぐ」。それしか頭になかった。
2008年1月2日、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で、順天堂大3年だった小野裕幸さん(38)=当時21歳=は、山登りの5区を走っていた。気持ちとは裏腹に、手足に全く力が入らない。
観客の悲鳴とともに路上に倒れた。途中棄権を示す「赤旗」が掲げられたことに気付かない。再び走ろうと立ち上がる。競技運営委員に行く手を遮られ、座り込んだ。
「もう終わりなんだ」。監督の仲村明さん(57)に肩を抱かれて言われた。ようやく事態がのみ込めた。「とんでもないことをしてしまった」。順天堂大の連覇の夢が消えた。ゴールまで、わずか500メートルだった。(社会部 後藤陵平)
きつい坂を軽快に6人抜き…突然全身の力が
正月の国民的な風物詩となった箱根駅伝で、自分が悲劇を演じるなんて、想像すらしていなかった。2008年1月2日、順天堂大3年だった小野裕幸さん(38)は18位でタスキを受け、「少しでも順位を上げよう」と駆け出した。
担ったのは、全10区間のうち、標高874メートルまで駆け上がる5区。過酷なうえ、距離も23・4キロと最長で、順位変動が激しかった。「5区を制する者は箱根を制する」と言われる最重要区間だった。
勾配のきつい坂を軽快に上っていく。「体が動いている」。手応え通り、6人を抜き去った。上りの最終盤の残り4キロ付近で、さらに前方の選手をとらえる。
その時だった。フッと全身の力が抜けた。人生で初めて味わう感覚。自分の体を制御できない。みるみる前の選手の背中が遠ざかった。「小野が離れたぞ」。他校の監督の声が響く。
最高地点を過ぎると、蛇行し始めた。駆け寄った監督の仲村明さん(57)から水を渡され、口に含んだ。「冷静になろう」と、立ち止まって屈伸しようとした。けいれんする脚は、反り返ってうまく曲がらない。「何としてもゴールまでいかなければ」