日本最古の歴史を誇る芝居小屋「京都 南座」:中村鷹之資が誘う歌舞伎の世界
歌舞伎の祖・出雲阿国がかぶき踊りを披露した京都で、400年にわたる歴史と伝統を物語る南座。12月の「吉例顔見世興行」に出演する梨園期待の星・中村鷹之資(25)が、その魅力を語る。
歌舞伎を生んだ文化の香り漂う河原町
「歌舞伎発祥の地といわれる四条河原にある南座は、やはり歌舞伎役者にとって特別な劇場です」 「京都 南座」(京都市東山区)は鴨川に架かる四条大橋の東詰、南側に建つ。その屋上にある芸能の神・弁財天のお社の傍らで、新進気鋭の役者・中村鷹之資さんは神妙な面持ちで河原を見下ろした。
取材に訪れたのは、鷹之資さんが現代劇『有頂天家族』で主役を演じていた11月下旬。寒さが急激に増した日だったが、眼下の橋ではたくさんの観光客が行き交っていた。12月からも南座伝統の「吉例顔見世興行」への出演を控え、通い慣れた四条河原について、こう語った。
「鴨川沿いを歩いて劇場に入るまでに、おしゃれな店を見つけたり、音楽が聞こえてきたりする。そして『人が集まる川や橋は、文化・文明の生まれる場所だ』と日々感じるんです。交通の要所だった昔は、なおさらのことだったでしょう。今でも南座は、祇園や宮川町などの花街に囲まれ、四条大橋を渡れば先斗町(ぽんとちょう)や木屋町に趣深い料理店やバーが立ち並ぶ。そうした華やかな環境の中で、歌舞伎の演目や芸術性は磨かれていったのだと実感しています」
唯一残る幕府公認だった歌舞伎小屋
南座には、 “歌舞伎の祖”とされる出雲阿国からつながる長い歴史がある。 江戸時代初期の史書『当代記』は、出雲大社の巫女だった阿国が京に上り、1603(慶長8)年に「かぶき踊り」を披露したと記す。阿国はその後、北野天満宮(京都市上京区)に定舞台を設け、一世を風靡した。
さらに諸国を巡業し、江戸城にも招かれたことから、阿国歌舞伎の人気にあやかろうとした座が各地に生まれた。発祥の地・京都では、四条河原に櫓(やぐら)を揚(あ)げた芝居小屋が並び、にぎわいを呼んだ。京都所司代は元和年間(1615~1624年)、そのうち7つの櫓に認可を与えるが、女性が男装する「女歌舞伎」は風紀を乱すと禁止令を発布。成人男子が女方も演じる「野郎歌舞伎」へと移り変わっていく。 18世紀に度重なる火事などで小屋の廃絶が続き、江戸時代後期には、八坂神社の旧参道である四条通を挟んだ「南の芝居」と「北の芝居」の2座のみが残る。そして1893(明治26)年、北の芝居も幕を閉じ、幕府公認の櫓を揚げていた小屋は南座だけとなってしまった。