何が日本人NBAプレーヤー八村塁の復帰を支えたのか?
米プロバスケットボールNBAウィザーズの八村塁が、ついに3年目のシーズンをスタートさせた。今季初出場となったのは9日(日本時間10日)のマジック戦でチームにとって今季40試合目。82試合を戦うレギュラーシーズンのほぼ真ん中という試合で八村は14分9秒出場し6得点、3リバウンド、1アシスト。2本決めたフィールドゴールはいずれも力強いダンクシュートだった。最後にプレーした公式戦が東京五輪で、約5カ月ぶり。5対5の練習もしないままの復帰だっただけに3本のスリーポイントを含む6本のフィールドゴールをミスしたが、積極性溢れるプレーで2021-22シーズンのデビューを飾った。 NBA自己106試合目で初の控えからの出場だった。だが、そんなことはどうでもいいことで、この日最も大事だったのは、八村が「この瞬間をずっと待っていました。コートに戻れて、仲間と一緒にプレーできて嬉しかった。この感覚を恋しく思っていました」と感じたこと。「こんなにバスケをしなかったことは今までになかった。すごくバスケが恋しかったので、こうやってまた戻れて本当に嬉しいです」と喜びを噛み締めた。
ゴンザガ大時代の苦悩を知る中川氏が語っていた”前を向く強さ”
ウィザーズから八村が個人的な理由でトレーニングキャンプはじめを欠席することが発表されたのは昨年の9月25日。チームが今季に向けて始動する3日前だった。それから2週間あまりでワシントンD.C.に入り、個人練習、チーム練習合流を経て復帰に至るまで約3カ月半を要した。八村は復帰戦後も個人的な理由の内容については詳しく語らず、「休みが必要だった」と説明した。 離脱中も理由がはっきりしない分、いつ戻ってくるのか、八村がどのような状態なのか、予想さえ困難だったが、筆者の中では「必ず元気に戻ってくる」という確信があった。八村はバスケットボール選手として、そして人として大きく成長したゴンザガ大時代にも、時に逆境に背を向けながらも最終的には前を向いて乗り越えてきたからだ。 現在アリゾナ大男子バスケットボール部でアドバンススカウト部長を務める中川拳さんは、八村がゴンザガ大でプレーしていた3年間、大学院に通いながらコーチを補佐する“グラデュエート・アシスタント”、その後はビデオコーディネーターとしてずっとそばにいた存在。 特に1年生の時には、英会話もままならず、学生アスリートとして日々の勉強に苦しんでいたことに加え、得意のバスケットでもうまくいかずもがいていた八村を支えていた。当時はチームに八村と同じビッグマンの人数が多かったため2チームに分かれて実戦形式を行う際、八村と同じ1年生でも八村よりも試合での出番が多かったザック・コリンズ(現スパーズ)やキリアン・ティリー(現グリズリーズ)が優先された。そのため八村はプレーして学ぶというよりも、横で見て学ぶというのが常だった。そんな中「プレーが覚えられない」と弱音を吐くこともあったし、自信を失ったように見える時もあった。今では父のような存在であるマーク・フューHC(ヘッドコーチ)の厳しさの意味が理解できず、「監督とこんな関係だったら、絶対にダメだ」(八村)と思うほど絶望を感じた時もあった。 ただ、どんなに落胆しようが、また疲れていようが、毎日2時間個人練習を続けることはやめなかった。「普通の選手だったらそれで結構落ち込むと思いますが、彼は違いました」と中川さん。「勉強が嫌だとか、いつもそんなことを言っていましたけど、結局は頑張るから。だから彼が何を言ってもあまり心配していませんでした」 まるで弟の話をするかのように優しい表情を見せた。