何が日本人NBAプレーヤー八村塁の復帰を支えたのか?
日々の努力が実り、八村は2年生ではゴンザガ大に欠かせないシックスマンとなり、NBAドラフト候補選手として名前が挙がるようになった。勉強との両立に嫌気がさしていたこともあり、2年生のシーズンを終えたあとの進路を考えた時、バスケットだけに集中できるNBAに気持ちが傾いた。だが最終的にはもう1年大学に残ることに決め、今では将来的に学校に戻って卒業証書を手に入れることも視野に入れるほどになった。 勉強との両立。 ラプターズの渡邊雄太が「あの生活はもう2度とやりたくない」と苦笑いするように、これは多くの学生アスリートの壁となっている。 例えば八村の場合、朝の7時から夜の10時まで日々勉強とバスケットだけの生活だった。遠征から戻るのが午前2時を回っていても関係なく、朝からの授業の出席は必須。八村の学習における個人指導を担当したステファニー・ギャルブレイスさんによると、時に気持ちに余裕がなくなり、「もう出来ない」と言い出すこともあったという。 ただそういう時は、だまって八村に休みを与えた。なぜなら「勉強で成功することがバスケットでの成功に繋がると彼にはわかっていました。だから必ず戻ってくるという確信があった」からだ。「そして、翌日には必ず戻ってきました」とギャルブレイスさん。3年生になり、チームのエースになって記者会見で堂々と英語で受け答えする八村を見て、「彼はここまで本当に長い道のりを歩んできました」と誇らしげに話していた。 9日の復帰試合後、八村は「僕は13歳の時からノンストップでバスケットをしてきました。説明するのは難しいのですが、日本には(バスケットの)シーズンというものはなく、年中プレーしていてオフというものがありません。大学に入ってからも(オフシーズンの)夏は日本代表で活動し、昨年の夏も日本代表として(東京五輪で)プレーしました。厳しかったです。でもやっと落ち着いてコートに戻り、とても幸せです」と話した。 実は、これは八村をゴンザガ大にリクルートし、八村の精神的支えのような存在でもある現アリゾナ大男子バスケットボール部のトミー・ロイドHCが心配していたことだった。八村はNBA1年目の12月に鼠径部を負傷して約1カ月半戦線離脱したが、その時にロイドHC(当時はゴンザガ大アシスタントコーチ)はこう言っていた。