小池都政8年間の“最大の問題点”。7つのゼロ未達成、謎の東京アラートよりも注目すべきは
前回は選挙活動をしなかった小池知事
どんな選挙活動をして366万票を取ったのかというと、小池都知事は選挙活動をやらない選挙を展開したのです。各候補の討論会にも出席せず、オンラインのみで街頭演説も行わない。代わりに何をやったかというと、コロナ対策です。 「知事の仕事に注力することが現職の務めだ」というスタンスを取って、街頭に出るような選挙活動を行いませんでした。ただし、毎日の定例会見などでは常にメディアに対して、自分の政策や姿勢、名前、ビジュアルの露出を続けていたわけです。 これは僕からしたら立派な選挙活動です。ただし、この選挙戦は現職のみが可能であり、そして他候補とは圧倒的に平等ではない選挙戦を展開していたとも言えます。記憶に残っているのは、小池都知事の声で流れる電車内などでのコロナ対策アナウンスの冒頭で「東京都知事の小池百合子でございます」と、自身の名前を言っていました。 これも穿った見方かもしれませんが、選挙のときに街宣車から名前を連呼することと同じです。自分が立候補しているということを認識してもらうという意味で、実は名前の連呼にはすごく効果があると言われています。 小池都知事の戦略は、既にある知名度に加えて、コロナ対策を通してのアピールもした。コロナ対策自体は自治体の長としては当然取り組まなければいけないことなので、これは選挙戦ではないという批判と切り分けるのは難しいのですが、僕は巧みな選挙戦略として受け止めていました。
「7つのゼロ」未達成、朝鮮人虐殺の追悼文不送付
近年は明治神宮外苑の再開発事業への反対の声が出てきている中で、僕は小池都知事が当初、政策の一丁目一番地として掲げていた都政の透明化からは遠く離れてしまったのではないかと思います。 選挙公約として掲げていた「7つのゼロ」の達成率はどうなっているんだ、というツッコミもあります。公約の達成は物によっては難しかったりもしますが、「7つのゼロ」を公約として掲げておいて、達成率がゼロなのは悪い冗談のようです。最初に大きな看板を上げても、時が経てば有権者は忘れると思っているのでしょうか? それとも本人が忘れてしまったのでしょうか。 しかし、何よりも僕の中で問題だと思っているのは、関東大震災が起こった9月1日という日に、朝鮮人虐殺の犠牲者に送る追悼文を、小池都知事になってから送るのをやめていることです。石原慎太郎さんをはじめ歴代の都知事はみんな送っていました。 この追悼文は、震災という自然災害の犠牲者ではなく、震災後に噂されたデマなどによって虐殺されてしまった朝鮮人の人たちに対するものです。人為的に引き起こされてしまったこうした悲劇が繰り返されないようにという意味も含めて、追悼文を送っていたわけです。 加藤直樹さん著『九月、東京の路上で -1923年関東大震災ジェノサイドの残響-』(ころから刊)などの本でも明らかにされているように、行政、そしてメディアも含めてデマの流布に加担した結果、震災を生き延びた人たちが、市井の人の手によって犠牲になる事件が東京で起こりました。 小池都知事は不送付の説明として、「都慰霊協会が営む大法要で、すべての震災犠牲者を追悼している」としているんですが、虐殺の犠牲者は、震災は生き延びているわけです。震災は生き延びているにもかかわらず、その後デマが流布されたことによって、人の手で虐殺されてしまったと。 昨年、森達也監督の『福田村事件』なども劇場公開されて、こうした悲劇が、さまざまな場所でいろいろな規模で起こっていたということに、改めて恐ろしさを感じています。小池さんは東京都の知事として、このような悲劇を繰り返さないための強いメッセージを発していない。追悼文を送らない理由についても論点をずらした回答しかしていません。 先日、小池都知事の名前と顔入りのメッセージ付きで東京防災ハンドブックが全都民に配布されましたが、防災後の悲劇から目を背けるような態度で自治体の長が務まるのかは疑問です。