突然の社長就任で「不安が次々あふれた」 食品メーカー3代目が進めた「逆ピラミッド経営」
三重県桑名市のオーケーズデリカは、学校給食、産業給食、福祉施設に、1日1万4千食を提供する食品メーカーで「食中毒ゼロ」を誇ります。3代目の杉本香織さん(51)は2015年、兄の急逝で社長に就任すると、「私には何もできないと思っていた」と悩みながらも、トップダウン型から従業員を頼る「逆ピラミッド経営」に転換。面接や昇給の機会を増やしたり、権限委譲を進めたりして風通しのよい組織に変えました。可愛らしいイラストでビジョンマップを作って会社の進路を共有し、栄養バランスに優れた「おかん弁当」の開発や和総菜の輸出などで売り上げをアップしました。 【写真特集】中小企業を引っ張る女性リーダーたち
子どもながらに「会社の一員」
オーケーズデリカは1973年、杉本さんの父・川崎義久さんが大阪で立ち上げた「OK給食」がルーツです。その3年後、三重県桑名市で再創業し、プレハブ工場で弁当を作っていました。 杉本さんが子どものころは工場と自宅が一緒で、配膳台で寝かしつけられ、社員に子守をしてもらっていました。終業後、父は社員にご飯を振る舞い、母が人生相談に乗っていたといいます。「子どもながらに会社の一員という感覚でした」 1987年、現在のオーケーズデリカになり、今は社員約200人(パートを含む)を抱えています。 杉本さんは短大で栄養士の資格を取り、卒業後は名古屋市の食品問屋会社に勤めます。1997年、結婚を機に退職し、オーケーズデリカに事務職で入社しました。
安全強化で「食中毒ゼロ」
2000年代に入り、大手牛丼チェーン店が牛丼を200円台に値下げすると、弁当業界もそろって低価格帯の弁当を提供。オーケーズデリカも流れに乗らざるを得ませんでした。 価格競争では大手にかないません。力を入れたのは、今も強みである食の安全性の強化でした。 2006年、桑名市内に新工場を建て学校給食事業をスタート。同じ年、業界でいち早く、国際的な衛生管理の手法であるHACCP高度化基準認定を受けました。 異物混入を防ぐため、食品は金属探知機で検査。でき上がった後は冷却器に速やかに入れ、工場から顧客に届けるまでに計6回、食中毒のリスクが低くなる20度以下に保たれているかチェックします。 「食材を温度計で測る」、「中心温度を70度で1分間調理する」といったルールも徹底しています。 「熟練の料理人は揚げた油の音で温度を把握できても、新人にはわかりません。誰もが管理できるよう、数字で徹底しています」 工場内の設備やシステムづくりは、杉本さんの兄の川崎潤也さんの知恵が詰まったものです。 掃除の負担を減らすため、通常は横に配置する水道管は縦にして、ほこりをためないようにしました。設備は可動式で移動しやすくして、きれいに掃除できるようにしました。 2009年、食品安全マネジメントシステムの国際規格「ISO22000」をケータリング業界で初めて取得。創業以来、食中毒ゼロを続けています。