突然の社長就任で「不安が次々あふれた」 食品メーカー3代目が進めた「逆ピラミッド経営」
兄の急逝で突然社長に
2014年に社長になった潤也さんは、新しいコーポレートマークを作り、オフィスを一新。経営理念の「Food is Life」(食べることは生きること)のプレートも共有スペースに掲げました。 その矢先、悲劇が起こります。潤也さんが2015年、44歳の若さで急逝したのです。妹の杉本さんが突如、後を継ぎました。「経営にたけている兄と比べ、私は何もできません。銀行や取引先は相手にしてくれるか、社員はついてきてくれるか。そんな不安が、次々あふれました」 杉本さんが個人的にビジネスコーチングを受けて、学んだのがサーバントリーダーシップでした。「これからの時代はパーフェクトな人物ではなく、支援者となるリーダーが必要」と教わりました。 「私は凡人だからこそ、社員に任せて力を発揮してもらい、それを支える社長を目指しました」
トップダウン型からの転換
杉本さんが家業で事務をしていたころ、従業員から社長への不満をよく聞いていました。 「父も兄も優秀でしたが、トップダウンのところがありました。社長以外は全員平社員。社員が不満を抱え『社長は高級車に乗っているのに、私たちの給料はなぜ上がらないのか』と話すのを聞いていました」 杉本さんが意識したのは「人」を重視する経営です。 「兄がシステムやハード面を変えたなら、私は人をより大切にしようと、社員それぞれが力を発揮してくれるように伝えました」 経営計画書にひらがなを多用して読みやすくまとめ、全員に公表しました。定期的に朝礼を開いたり会社報を発行したりして、会社の方向性を常に共有しています。 社員への権限委譲も加速させました。例えば、2023年に第二工場を建てた際には、その意思決定を男性社員に一任しました。「私より社員の方が現場のことをよくわかり、信頼できますから」 オフィスでは杉本さんは軽やかに社員と話し、現場の改善案を積極的に出してもらいます。「私一人でお金を生み出すことはできません。社員の皆さんが何かを提案し、結果を出したらその分は還元すると伝えています」 仕入れの見直し、調理場の作業効率や配達効率のアップ、こまめに電気を消すなどして得られた利益は、非生産部門も含めて社員に給料で還元しました。 「社長が一番現場から遠く、弁当作りや洗い物など、一番しんどいことを行うのが社員の皆さんです。私は、社長が一番下という逆ピラミッド型の経営を意識しました。最前線で働く人がいるからこそ、会社が成り立つのです」