それぞれのわずかな“塩かげん”で、毎日が一期一会 塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの最新刊『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
それぞれの“塩かげん”。
文/塩沼亮潤 朝、よくコーヒーを淹れて飲むのですが、不思議と毎回違う味になります。同じ豆の量、同じお湯の温度、同じように作っているにもかかわらず誤差が出てしまいます。微妙な加減が影響しているのかもしれません。 世界的なF1ドライバーとパティシエの対談を思い出しました。F1ドライバーは、いつも同じように走る中で0・01秒単位を競っている。一方パティシエも、いつも同じようにお菓子を作りながら、材料の0・0何gの差で味の変化を見極めているそうです。周りからは同じことをしているように見えても、実はそれぞれまったく違う世界を見ているのです。 どうやら人は皆、毎日同じように生きているように見えても、それぞれのわずかな“塩かげん”で、日々違う人生を生きているようです。毎日が一期一会、諸行無常。そう思うと、一日一日がより尊く感じますね。
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った著書『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。