ラグビー「東高西低」に終止符…なぜ天理大は早大を粉砕し悲願の大学日本一になれたのか?
同志社大出身の小松監督は1993年にコーチとなり、当時関西大学Cリーグにいた天理大を着実に強化。95年に監督となり、就任7年目の2001年に同Aリーグへの昇格を決めた。35年ぶり5度目の関西リーグ制覇を果たしたのは10年度で、翌11年度には初めて大学選手権の決勝へ進んだ。ゲインラインをパス交換で破るプレーはこの時から際立っていた。さらに再びのファイナリストとなった2018年度までには、岡田のスクラム理論が落とし込まれた。 接点での激しさを支える身体の強靭さは、個々のハングリー精神が鍛えたとも取れる。 天理大の寮と練習場は、奈良県北西部にある。 「天理大には、自分から来たいという選手しか来ません」とは小松監督の弁。裏を返せば、天理大側から声をかけるような有名選手は関東を中心とした他大学へ流れる。 その潮流は、関西大学Aリーグを5連覇した今季も止まってはいないのだろう。松永の弟で同じ大産大付属高出身の松永貫汰は、関東大学対抗戦Aの筑波大へ入った。付属の天理高で高校日本代表となった中山律希はいま、同じく対抗戦の明大にいる。 かたやこの日、活躍した市川は、大阪の無名校と言える日新高から天理大へ入っている。今季主将となった松岡も、日新高と同じく全国高校大会と縁遠い兵庫県の甲南高出身だ。入学後に部員へ高校名を教えたら「コウナン? 兵庫の? 知らんなぁ」ときょとんとされたらしい。もっとも市川や松岡らが入部する前までには、限られた戦力を鍛えて結果を残す文化が仕上がっていた。松岡は言う。 「天理の選手には、やったるぞという気持ちが強いんじゃないですかね。花園(全国高校大会)に出られなかったことなどいろいろと悔しい思いを持ちながら、ここで競争している。実際、僕もそれで成長しました。やる気のある選手、ハングリーな選手が多い」 リクルートの苦労が絶えない天理大だが、近年力をつける日本航空石川は別で有力選手がやってくる。トンガ人留学生の多くは天理大へ進んでいて、フィフィタもその1人だった。ただ彼らはフィジカルを生かした突破役を担うだけでなく、防御でも歯車になるのが天理大の留学生の特徴だ。3年生のモアラはその代表格だ。 モアラは決戦前日、高校、大学で2学年先輩となるクボタのナンバーエイト、ファウルア・マキシからLINEをもらった。 「2年前のこと(決勝で明大に惜敗)を忘れるな。今日しかないぞ。出し切れ」