なぜラグビー元日本代表の五郎丸は22歳で決めた「35歳引退プラン」を貫いたのか?
来年1月16日に開幕のトップリーグ2021を最後に引退することを発表していた、ラグビー元日本代表FB五郎丸歩(34、ヤマハ発動機ジュビロ)が16日に静岡・浜松市内で記者会見に臨み、早稲田大学から加入した2008年4月の時点で、35歳になるシーズンでの引退を決めていたと明らかにした。 クラブカラーのひとつである紫黒色のスーツ姿でひな壇に座った五郎丸は、ヤマハを通じて9日に突然発表し、日本中のラグビーファンを驚かせた決断に至った理由を意外な言葉に帰結させた。 「ヤマハ発動機ジュビロという素晴らしいチームと、22歳でプロ契約をさせていただいた瞬間から、35歳までは第一線で戦い抜くと決意していたことを昨日のように思います。ここ数ヵ月、または数年といった短い期間ではなく、長いスパンのなかでこの日迎えることになりました」 プロになった瞬間に引退する時期を決めていたのも異例ならば、稀代のプレースキッカーとして歴史に名前を刻む大活躍を演じながら、迷うことなく信念を貫き通した姿勢にも驚かされる。何よりもなぜ35歳で区切りをつけるのか。五郎丸は苦笑いしながらプロ契約時の心境を思い起こした。 「何でしょうね。22歳当時の私に聞いてみたいですけど、おそらくはパフォーマンスを第一線で出し続けるのは、自分としては35歳が限界だという決断に至ったのではないかと」 35歳の誕生日が来年3月に近づいてきたなかで、プレーそのものはまったく衰えていない。新型コロナウイルスの影響で第6節終了後に中断し、そのまま打ち切りとなったトップリーグ2020でもFBとして5試合に先発。NTTドコモとの第5節ではトップリーグ1試合最多記録に並ぶ、11度ものコンバージョンゴール(G)を成功させて健在ぶりを示している。
現時点におけるコンディションも万全。来年秋からはトップリーグに代わる新リーグがスタートする状況もあり、引退する意向を告げると周囲からは「あと1年プレーしたらどうか」という声も多くかけられたが、決意が揺らぐことはなかった。 「自分に気持ちがなければ、感情がなければできると思います。ただ、アスリートは体力だけではなく気力も非常に大事になってきます。その気力の部分が自分のなかで衰えていることを感じ、35歳の節目で現役を退くことが自分にとっても、周りにとってもベストだという決断に至りました。22歳のときに決めた自分の決断を曲げずに、ここで気持ちよくトップリーグとともに去る方が、自分には合っているのかなと思っています」 太く、短い競技人生を完全燃焼させるために、座右の銘として「日々の努力、夢への近道」を掲げてきた。日本代表のテストマッチであげた711得点、トップリーグの1254得点はともに歴代1位。もっとも、五郎丸を痛快無比なヒーローたらしめた原動力は、ペナルティーゴール(PG)やGを次々と成功させてきた右足に宿る正確無比なキックだけではない。 「試合のときだけではなく、試合に対してのしっかりした準備を、日々の生活のなかで大事にしてきました。不器用ですが、目の前のことをひとつずつ積み上げてきた人間なので」 日常生活を含めてストイックな姿勢でラグビーを突き詰め、試合へ繋げてきた自負があるのだろう。逆に考えれば、35歳になるシーズンで引退すると心に決めていたからこそ、ラグビー中心の日々を送ってこられた。実際、五郎丸はこんな言葉も紡いでいる。 「ラグビーを選手として終える寂しさはありますけど、ラグビーを始めて32年間、全力で走り抜けてきました。私には残り1シーズンしか戦う気力、それから体力ともに残っていません。残された1シーズンを、これまで支えていただいた、そして関わっていただいたすべての方々への感謝の思いをしっかりと胸に秘め、また背負いながら全力で戦っていきたい」