稀代のバイプレーヤー・橋本英郎が示唆する新たな監督像。7つのクラブと代表で築いた“カメレオン型指導者”への礎
2023年12月16日、パナソニックスタジアム吹田で橋本英郎さんの引退試合が行われた。25年間のキャリアの中で、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪、東京ヴェルディ、AC長野パルセイロ、FC今治、おこしやす京都ACと、カテゴリーが異なる7つのクラブでプレーした元日本代表MFは、第二のキャリアとして本格的に指導者の道を歩み始めている。試合後の記者会見で語った「目指す監督像」を、その重厚なキャリアと言葉からから紐解く。 (文=藤江直人、写真=アフロスポーツ)
四半世紀のキャリアに重ね合わせて目指す「何でもできる」監督像
頭がいい。気が利く。みんなを繋ぐ人間性もある。稀代のバイプレーヤーとしていぶし銀の輝きを放った橋本英郎さんの現役時代の印象を問われると、決まって関連性のある言葉が返ってくる。 ガンバ大阪の監督に就任した2002年シーズンから、実に10年間にわたって橋本さんを指導した西野朗氏も、同じニュアンスの言葉を介して愛弟子の頭のよさを指摘する一人だ。 「クレバーな選手であり、当時でポリバレントと呼ばれる選手の代表的な存在だった。しかも、どこでプレーしても『難しい』とか『できません』と言わない。常にチャレンジもしていた」 ボランチを主戦場として日本代表にも招集された橋本さんだが、西野氏の言葉通りに、ガンバ時代には左右のサイドハーフと左右のウイングバック、そしてサイドバックでもプレーしている。 橋本さんはガンバのジュニアユースとユースをへて、98年シーズンにトップチームへ昇格した。高校2年生でデビューしていた同期の稲本潤一と違い、月給10万円の練習生でキャリアをスタートさせた苦労人はしかし、最終的に43歳だった昨年1月に引退するまで四半世紀にわたってプレーした。 長いサッカー人生のなかで、橋本さんの記憶にいまも鮮明に刻まれている言葉がある。ガンバがJ1リーグを制し、悲願の初タイトルを獲得した05年シーズン後に西野監督からかけられたものだ。 「西野さんから『影のMVP』と言われたんですよ。要は僕には常に影という言葉がつく。脇役というか、決して前に出る選手じゃない。その結果として、僕は長いサッカー人生を歩めたのかな、と」 バイプレーヤーを極めたプロサッカー選手のキャリアは、指導者の道を本格的に歩み始める第2の人生へ反映されようとしている。ガンバの本拠地・パナソニックスタジアム吹田で昨年末に行われた引退試合。終了後に設けられた記者会見で、橋本さんは目指す監督像をこう語っている。 「クラブの理念であるとか、クラブが求めるサッカーを実現させられるような監督になりたいと思っています。こういうサッカーができるとか、あるいはこういうサッカーをやりませんか、といった形で僕からアプローチするのではなく、ファン・サポーターを含めて、しっかりとしたフィロソフィーを持っているクラブで、それを実現できるような監督になりたいんです」 指揮を託されるクラブの要望に合わせて、どのような色にも染めていく。例えるなら「カメレオン」のような監督を目指していく理由を、橋本さんは自身のキャリアに重ね合わせて説明している。 「自分がいろいろなポジションでプレーしてきたのと、さまざまな立場を経験してきたからこそ、クラブ側の希望を実現できるような監督になりたいと思っているんです。カウンターサッカーであろうが、あるいはポゼッションサッカーであろうが、何でもできるような監督ですね」