稀代のバイプレーヤー・橋本英郎が示唆する新たな監督像。7つのクラブと代表で築いた“カメレオン型指導者”への礎
西野、オシム、岡田。3人のリーダーから学んだ「選手を見る目」
練習生からレギュラーへと昇華した要因は、戦術眼を磨いていく過程で自分の弱点を消し、球際の攻防で不利にならないポジショニングを突き詰めたからだ。その意味では異彩を放つ指導者になる可能性をすでに秘めていると言っていい橋本さんは、同時に自分に足りない部分も見すえている。 それは自身を成長させてくれたガンバの西野、代表での岡田両監督の無言の「厳しさ」だった。 ガンバは連覇を目指す06年シーズンに大型補強を敢行した。新戦力のなかに02年のワールドカップ日韓共催大会に臨んだ代表メンバーで、ボランチで橋本さんとポジションがかぶる明神智和氏がいた。 「優勝したと言ってもまだまだ自分の力が足りない、さらに成長していかないとこの先に生き残っていけない、というメッセージだったと思っています。そのように考える時間を西野監督が作ってくれたおかげで、日本代表への初招集にも繋がったんじゃないかと僕は思っています」 こう振り返った橋本さんは07年3月に、イビチャ・オシム監督に率いられる日本代表に初めて招集され、同年6月のモンテネグロ代表との国際親善試合で国際Aマッチデビューを果たした。さらに3つのキャップを積み重ねたなかで、同年末にオシム監督が病魔に倒れてしまった。 2度目の登板となった岡田監督のもとで、08年1月の国際親善試合、2月の東アジア選手権に招集された橋本さんは、高校の大先輩でもある岡田監督のシビアな視線を感じ続けていたと明かす。 「呼ばれた時点で代表から切られる雰囲気が充満していた感じでしたし、実際に東アジア選手権で結果を出せなかった僕は、その後は呼ばれなくなってしまったんですね。その後のACLやクラブワールドカップでのプレーを評価してくれて、(09年に)再び呼んでもらえましたけど、そこでも力が備わっていなかったので、南アフリカで開催された(10年の)ワールドカップメンバーには選ばれませんでした」 初めて代表に呼んでくれたオシム氏を含めて、3人の監督の共通点を橋本さんはこう語る。 「選手を見る目というか、いろいろと細かいところをしっかりと見るけれども、決して多くを伝えるわけでもない。そのなかで深みがあるというか、ちゃんと感じ取れる選手には伝える。逆にある程度以上は感じられない選手は切ってしまうというか、シビアに見られる監督たちでした」 これまで元選手の引退試合に参加した経験のない本田圭佑を含めて、05年シーズンを中心とするガンバと、オシム及び岡田ジャパンの元チームメイトたちが実に50人以上も集結。西野、岡田両氏が指揮を執った引退試合の豪華絢爛ぶりは、橋本さんの人望を抜きには語れないだろう。 脇役を自任する性格を含めた温和な人柄は、理路整然とした口調と合わせて「指導者・橋本英郎」の武器になる。同時に泣いて馬謖(ばしょく)を斬るようなドライな一面も、状況によってはプロ監督に求められる。 日本サッカー協会(JFA)が発行する公認指導者ライセンスを、橋本さんはすでにA級まで取得している。今後はカメレオン型指導者を具現化させるための具体的な方法論を含めて、現時点の自分自身に足りないものを貪欲に吸収しながら、最上位のS級ライセンス取得への準備を本格化させていく。 <了>
文=藤江直人