「年賀状」送る?送らない?… “年賀状じまい”から今年は「復活年賀状」へ お年玉つき賞品…昔は家電、いま現金!【#みんなのギモン】
■年賀状の歴史 楽しみといえば「お年玉つき」…人気家電から現金30万円へ!
ここで、1つ目のポイント、「年賀状の歴史」をたどり、「楽しみといえば…」ということで、「お年玉つき年賀はがき」について詳しく解説します。 年賀状の歴史は長く、平安時代から「貴族」の間でありました。 江戸時代になると「飛脚のおかげ」で年賀状の文化が広がりました。 明治初期になると「東京~大阪間の郵便事業」が始まって、ようやく遠くの人にも送れるように。 明治後期になると「私製はがき」が認定され、身近なものになってきました。 そして、昭和24年には「お年玉つき年賀はがき」が始まって、楽しみが増えました。
まさにこの時のポスターを見てみると、賞品の特等は高級ミシン、2等は学童用グローブ(本革)。当時、なかなか手が出ないものが賞品になっていたようです。 当時、新入社員の月給が3000円の時代、その時に、この高級ミシンは1万8000円ですから、給料の6か月分にもあたるものだったわけです。 昭和30年代になると…特等は桐のたんすやマットレス、2等はスチームアイロン、昭和39年には1等はポータブルテレビというのが出ていました。 昭和58年になると、1等は「オーブンレンジ」に。
そして…今の賞品の考え方は「好みが多様化している」ということで、何でも買えるようにと、「現金」に変わっています。 1等が現金30万円または、選べる電子マネーギフト31万円分など、2等がふるさと小包などになっています。 これほど楽しい企画がついていながら、年賀状というのは、だんだんと人々の心から遠い存在になってしまっている、という現状があります。
■20年前をピークに「年賀状」減り続ける背景にあるのは?
これまでの「年賀はがきの発行枚数」を見てみると、ピークだったのが今からちょうど20年前(2003年度44億5936枚)。このころには、年賀状をパソコンで、自分で手軽にデザインして作れるようになり、楽しむ人が多くいました。 ではなぜ、この年から減っていったのでしょうか。 実はこの年に、「個人情報保護法」が成立していました。そのため、住所録の配布を取りやめた企業が多かったのではないかと考えられます。住所がわからないから送れない、というわけです。 そして、職場の中でも、もう儀礼的なやりとりをやめていこうという動きも加わって、そこへSNSが登場し主流になっていったということが考えられます。