気仙沼市南町ヴァンガードでコーヒーを
Sさんの左に座るMさんは、気仙沼といえば、と名の出る寿司店のオーナー。 「ようやぐ新しい建物も建築が進んでるんで、もう少しの辛抱だね。」 震災後に営業してきた仮設店舗の「復興商店街南町紫市場」のまとめ役であるが、市場は4月中には閉鎖する。盛り土を終えた区画整理地の中に、入居する共同店舗の建築工事が始まっている。 寿司店の朝の仕込みは若い者に任せて、開店時間の11時前には席を立ち、店に顔を出す。
南町界隈の老舗のカウンターバーのオーナー・バーテンダーであったNさんは、店の再建はせずに、悠々自適の生活。私も、飲みに出ると何軒目かに立ち寄って、「うんとドライなマティーニ」などと粋がって注文していた。隣り合わせの郵便局のOBとコーヒーのカップを傾けながら、気楽な会話に興じる。 「お客さんに、マティーニはちょっと待ってね、って言っても、いや、待てにー、とかなんとか言うわげっさ。いいがら余計なごど言わねで待ってらいんどが。」 「ばばば、まず、何語ってんだが……」 一昔前までは、気仙沼あたりの高齢者は、だれかの自宅の茶の間に集まって「お茶こ飲み」したり、昼間から酒飲みしたりはしていたはずである。街中の喫茶店のカウンターを占拠する光景は想像がつかなかった。 個別に見れば、以前からヴァンガードには通っていた面々である。ジャズが好きで、コーヒーが好きで、ひとりひとりそこに座っている姿は、ごく自然なものである。時が流れても、自然の成り行きで、ここに通った。 いや、自然の成り行きばかりではない。直接のきっかけは、震災が作ったといえる。あるいは避難所から、あるいは事務所が被災して、ひと時を過ごすために、あるいは、仕事をするため、ここに集まったと。
気仙沼の山のコーヒー、川のコーヒー、港のコーヒー
実は、最近、山のコーヒーとか、川のコーヒーとか、港のコーヒーとか言って、新しいカフェが気仙沼にも何か所かできて、妙齢のご婦人方が3人4人と車に乗り合わせるなどして、コーヒータイムをともにする姿は、まま、見かけてはいたところである。「お茶こ飲み」が、隣り近所の民家を飛び出して、街や郊外のカフェに進出している。 山とか川とか個別の紹介はまた別の機会となるが、港のコーヒーというのは、気仙沼港内湾の湾岸道路に沿って立つ、渡辺謙氏がオーナーのK-port。南果歩さんとご夫婦で、月1回ほど訪れて、自らホットケーキを焼いている。