気仙沼市南町ヴァンガードでコーヒーを
震災を経て
南町の界隈は、気仙沼湾の奥の内湾に面したところで、そのほとんどは、6年前、津波の被害にあった場所である。木造の建物はほとんど破壊され、流された。 ヴァンガードは、鉄筋コンクリート3階建てのビルの1階で、うしろに斜面を背負って海岸からは通りを3本ほど隔てた場所ではあって、建物は残った。しかし、ほとんど天井まで水を被ったおかげで、中のものはあらかた流され、壊された。古いグランドピアノも、椅子も、テーブルも。床は泥だらけであった。 数か月後には、床も掃きだされ、テーブル、椅子や、ピアノも、新品とはいかないが揃い、営業を再開した。よく見ると、何かを洗い流したようなあとは残されている。
年に数回、ツアーに出たジャズ・ミュージシャンのライブも行われるようになった。いったんは、ライブは止めていたのではあるが、以前からの付き合いのあるミュージシャンは断りきれない、とはいうが、やはり、マスターはジャズが好きなのである。 そうだな、そんななかでも酒井俊は、素晴らしかった。すごかった。超絶である。多くの歌い手がカヴァーしたがる「満月の夕べ」などは、このひとの歌唱を聴けば、もうほとんど他の歌手は聴きたいとは思えない。
カウンターの常連のひとり、Sさんは、魚市場のすぐそばのホテルの会長である。ホテルは、2階まで浸水しながら、津波を避けたひとびとが3階より上に避難していた。その後、1年ほどして、全面的に改修を行い営業を再開した。市内の復旧工事が進むなかで、宿泊施設が不足していた。 「ほんとはもう止めっかど思ったんだけんとね。」 朝、合わせて営む建設業の会社に出て様子を見た後、お昼前の時間帯をこのカウンターで過ごす。若いころは、気仙沼高校の先輩の徳間書店元常務尾形英夫と新宿歌舞伎町を闊歩していたという。(故尾形英夫氏は、宮崎駿を見出した「月刊アニメージュ」創刊編集長であり、鈴木敏夫の元上司である。) 「震災後、会社もホテルも被災したんで、どごにも行きようがなくて、この店の入り口近くのテーブル席に陣取って、仕事したり打ち合わせしたりしたのっさ。」 その後、会社も再建したが、そのまま、午前のカウンターで過ごすのが習慣になった。