放送界の先人たち・岡田太郎氏~“昼メロ”の生みの親が明かす誕生秘話~【調査情報デジタル】
大山 あらぁ……。 岡田 だから、ラッキーと言えばラッキーなんだけれど、自分としては、あの何か月かは非常に不思議、不思議の連続で始まってしまった。だから、他局へ見に行って勉強したくらいで自分でドラマを作ってしまうというのは。 大山 運命付けられたとしか言いようがないですね。 岡田 そうとしか思えない。 大山 映画青年ではあったわけですか。 岡田 ええ。観て楽しむだけでね。別に評論的なことは何もないし、ただ面白がって観ているだけだった。それこそ役人の頃はお金がなかったので、何が楽しみというと映画を観ることだ、とは言っていたくらいな感じです。だから、オロオロしているうちに一人前になってしまった。 ■昼のメロドラマはこうして生まれた 大山 それで、昼メロの話。 岡田 昼メロ。本当に瓢箪から駒じゃないけれど、ひょんなことでした。僕が猛烈に忙しくドラマを作っている頃に、フジテレビに食堂があって、時間がない時期でしたから、食事といえば、そこでカレーライスか何かを食うくらいしかなかったんです。 ある時、一緒にテーブルを囲んだ相手が編成の連中だったのです。「太郎ちゃん、面白い企画ないかね」と言われて、その時はこちらはまだ新米でしたから、編成のちょっとお偉いさんじゃないけれども、そのへんの人から言われると、何か答えなければいけない。そういうつもりで、何を答えようかと思って一生懸命焦って考えたのです。焦って考えて「昼間によろめきドラマをやったらどうでしょう」と言ったのです※。 ※1957年に三島由紀夫が発表した小説「美徳のよろめき」が婚姻外の恋愛を描いて大ヒットした。以降、「よろめき」は不倫を表す流行語となっていた。 なんでそういう発想になったかというと、僕が文化放送で送り出しをやっていた時に、朝の9時半だったか、9時15分だったか、ラジオで15分の帯ドラマがあったのです。それこそ丹羽文雄とか、伊藤整※の「氾濫」とか、ああいうものをやっていました。