放送界の先人たち・岡田太郎氏~“昼メロ”の生みの親が明かす誕生秘話~【調査情報デジタル】
※丹羽文雄(にわ・ふみお<1904~2005>)、 伊藤整(いとう・せい<1905~69>)ともに昭和を代表する作家 そのドラマを毎日15分ずつ、延々やるわけです。その中では不倫を扱ったものが多かったから、僕らの言葉として「おい、よろめきのテープがまだ来てないよ」とか何とか言って、それを勝手に「よろめき」、「よろめきドラマ」と言って使っていたのです。 そんなのがどういうわけか頭をよぎって、それでカレーライスを食べている時に、さしたるあれがあるわけではないけれど言って、そうしたら聞いたほうがやたらまともに反応して「ああ、面白いんじゃないの?」ということになった。 当時は各局とも昼間の時間、12時から1時までは演芸ものや歌とか、あとは普通の教養番組みたいなものを放送していたわけです。そこでこれをちょっと試しにやってみようということになって、あっという間に話が進んでしまって、結局最初の放送は昭和35年の確か7月だったと思います。 大山 原保美さんと。 岡田 池内(淳子)さんの「日日の背信」(にちにちのはいしん)※。 ※ 1960年7月4日~9月26日 月曜13:00~13:30放送。原作:丹羽文雄、脚本:浅川清道、演出・プロデューサー:岡田太郎、出演:原保美(1915~97)、池内淳子(1933~2010)ほか。 大山 それは15分のベルトで。 岡田 いえ、30分です。週1本です。当時は何もないわけだから、一応日曜日に一家団欒したら、月曜日に旦那は外へ出て行くし、奥さんは1人でやれやれとなる。そこを狙うといいのではないかと勝手なことを言って、結局、月曜日にやったのです。月曜日の1時~1時半。当時は火、水、木、金、土には無かったのです。最初は月曜日だけ。これがばか当たりしたものだから、では火曜日にやってみようとか、水曜日にやってみようとか。結局、フジの場合は、ドラマで土曜まで全部埋まってしまったのです。かなり後になってから例の帯で、ベルトになって。