放送界の先人たち・岡田太郎氏~“昼メロ”の生みの親が明かす誕生秘話~【調査情報デジタル】
大山 わりとミス無くいったのですか。カメラは3台ですか。 岡田 3台です。ミス無くね。AD(アシスタントディレクター)も一生懸命、それこそパッと時計を変えて、こっちへ持ってくるとか。当時の生ドラマ独特のあれがあって、非常にうまくやってくれた。それから、台詞がそんなに多くないわけです。僕が「はい、3カメ」とか「2カメ」とか、僕は初めての経験なのだけれども、やっている声だけが響いて。 大山 サブ(副調整室)にね。 岡田 ええ。だから後で想像すると、みんな、その雰囲気に飲まれていたのではないかと。スイッチャーがカチッカチッとやるでしょう。みんながシーンとしていて、僕の声だけがあって、それで台詞でこうやってやる。それで、とんでもないすごいものを見たという感じになっちゃったのではないかと、僕は思うんです。それできちんと時間も終わって、「ハァー……」とぐったりして。 そうしたら、部長が呼んでいると言うのです。これは何か叱られるのかと恐る恐る行ったら、中々面白かったよと。「今度は人情ものみたいなものをやれ」と。「ええっ?」と言ったら、「とにかく、ああいうものは分かったから、もっと別な、違うものをやれ」と。「日にちは後でおれが突っ込むから、やってみろ」と。 大山 それは実験ですか。実際の放送でなく? 岡田 実験です。そして、それが終わったら、また、部長が呼んでいると。行ったら、「この番組をやってくれ」と言って、いきなり月曜日の「NEC劇場」 という30分番組の担当を命じられたんです。 大山 ああ、もう決まりでね。 岡田 ええ。「この番組は3月からの放送が決まっている、それをやってくれ」と。「えっ、そんなの…」なんて言ったんだけど、大丈夫だからやれと。「いや、僕はちょっと自信がありません」みたいなことをもぞもぞと言っても「それはみんな同じだから、とにかく大丈夫だよ。このあいだの2本を見たから、やってごらん」と。そう言われて「分かりました」と。結局、ドラマの枠に僕が最初に決まってしまったのです。