バブルの象徴、狂乱のディスコ「ジュリアナ東京」跡地はどうなった? かつての倉庫街に押し寄せる巨額の投資マネー
ただ課題もある。岡田さんは「自ら汗をかいて地域のために動こうという意識が薄い人が多く、十分な交流ができていない。災害が起きたときにお互い顔の分かる関係が築けていなければ、いざというときに助け合えない」と指摘する。昔から住む人同士の結びつきは強いが、新たに移り住んできた人とのつながりをどう持つのか模索中だ。 ▽新興企業が切磋琢磨する場所に ジュリアナ東京のあったビルは2024年に竣工から50年を迎える。大規模改修で一部がシェアオフィスとなり、起業直後の経営者が集う。ビルの管理会社によると「ジュリアナ東京があったというストーリーを面白がってくれる企業もある」という。 もともと倉庫だったため、部屋の大きさを自由に変えられるほか、一般的なオフィスに比べて割安で借りられることも評価され、借り手が途切れない。入居した企業の中には、業績を拡大して巣立っていく例も多い。 入居中のIT企業関係者は「(賃料などの)固定費を抑えられることは(今のビジネスが)ちゃんと商売になるか分からない新興企業にとっては大きい」と話した。入居者同士が交流できるラウンジには、ジュリアナ東京で使われていた青い椅子が再利用されている。
新たな価値を見いだした芝浦地区。バブル経済期の面影を残すこの場所では今、将来の日本を代表する可能性を秘めた新興企業が切磋琢磨している。