背景に「金権主義」vs「勤勉倹約」の政争 NHK大河「べらぼう」の時代 松平定信の「寛政の改革」蔦屋重三郎にも司直の手が
【「べらぼう」外伝 松平定知】■1■ 天下分け目の関が原の戦いで、東軍・徳川側が、西軍・豊臣側に勝ったのが慶長5(1600)年。この戦(いくさ)の3年後、同8(03)年に勝者、徳川側のトップ・家康は江戸に幕府を開き、江戸幕府はその後250年余り続いた。 なんてことは、小学生でも知っている日本国民周知の史実である。その江戸時代のほぼ真ん中あたり、8代将軍・吉宗が死に長男の家重や、家重の長男、家治が、第9代、第10代の将軍になった18世紀半ばあたりが、今年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」(5日スタート)が展開する時代である。 町人文化が絢爛(けんらん)と花開いた元禄時代、あの忠臣蔵の時代からおよそ半世紀がたった頃の話である。 当時の日本は、それまでの重農主義に変わって、新たに重商主義への転換が叫ばれ始めた時代だった。人々の関心が米から金へと移っていった時代だった。その中心にいて、政治経済のかじ取りをしたのが、時の老中、田沼意次。この田沼政治は拝金主義の傾向を帯び、幕府内には、金の力でいろいろな事態を動かす風潮が高まっていく。 その結果、賄賂が横行するようになり、役人、為政者の多くは、そうした「裏金」で私腹を肥やしていった。 で、そうした風潮を断じて許さぬと立ち上がったのが、第8代将軍・吉宗の孫、松平定信。彼は「欲ボケ」の為政者、役人たちを叱責し、「金の力ですべてが動くとは思うな!」「真面目こそが人間の基本」と、世の人々に、ひたすら勤勉、倹約を説いた。 それが、いわゆる「寛政の改革」だった。だが、「裏金は絶対駄目、金権主義は唾棄すべき、…その理念はその通りだけれども、でも、日常、あんまり窮屈だとなあ」と、庶民人気はイマイチで、寛政の改革は結果として、成功しなかった。 定信は風紀を乱す恐れありと、この大河ドラマ「べらぼう」の主人公、蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)にまで、司直の手を伸ばした。これを、俳優の横浜流星が演じる主人公はどうさばき、それをバネに家業をさらに発展させていったのかいかなかったのか。 さ、みなさん、乞ご期待。