発達障害の子どもとの対話で大人が陥る落とし穴 そのコミュニケーションは大人が楽になるだけでは?
さて、あなたなら5つのメッセージに何を選択しますか? メッセージはこちらが自由に選ぶことができます。「おなかすいたよ!」や「遊びに行こうぜ!」といった要求でも、「はい」「いいえ」といった単語でも何でも構いません。 もちろん、詳しい状況や場面によって答えは変わりますし、そもそも「正解」があるものではないと思います。 ともかく、ある若手は「おなかがすいた」「トイレに行きたい」といったものを選んだそうですが、それを上司に見せたときに「このコミュニケーションは(本人にとって)楽しいか?」と言われたそうです。
続いて、「これは本人がとりたいコミュニケーションなのかな? それとも(本人が言ってくれたら)こちらが楽になるコミュニケーションかな?」とも。 いやはや、その通りですよね。もちろん状況によってはこの若手の選択が正しい場合もあります。けれども、この生徒の年齢や状況を鑑みれば、この上司の指摘は適切です。 ■コミュニケーションの本質 この場合、生徒のいろんな要求が伝わりやすいと助かるのは本人以上に(介助を行う)こちら側であることは明白です。用を足したいといった要求は、いままでも表情や状況から読み取って対応できていたはずです。わざわざ音声出力する必要があるのか、考えるべきですよね。
さらに、これがこの生徒の初めての音声言語を介したコミュニケーションであることの考慮も必要ですよね。「楽しい!」「役に立つ!」がコミュニケーション意欲を高めることになるわけですから、「トイレに行きたい」をその貴重な選択肢に使っていいのでしょうか。上司の指摘を受けて、この若手はがっつり反省することになります。実はこの若手とは私のこと。私の忘れられない失敗の1つです。 発達障害の子どもへのコミュニケーション支援では、支援側が「誰のためのコミュニケーションか」を見誤り、支援側にとってメリットのある反応を成立させることに注目が行きがち(我々のわかる反応を対象に強いる)です。これはそもそもコミュニケーションの本質に反することです。
コミュニケーションはできる限りお互いに楽しいものであり、意味のあるものであり、よりリーズナブル(状況に応じて本人に無理なく簡便)なものであるべきですし、そうでないと続きませんよね。
川﨑 聡大 :立命館大学教授