発達障害の子どもとの対話で大人が陥る落とし穴 そのコミュニケーションは大人が楽になるだけでは?
結果、実際何人かの生徒は目論見通りとなりましたが、何人かは真逆の結果となりました。 この真逆の結果を示した生徒に対してこの先生が素敵だったのは、「こいつは報告できないやつ!」とレッテルを貼るようなことはせずに、「もしかして、私の考え(絵に描いたように褒めた方が本人が喜んで報告する)が当てはまらなかったのかな?」と考えて、「すごいね!」とあからさまに褒めるのをやめて、「わかったよ」とあっさりかつ淡々と報告を受け取り、その後のレクリエーションにするっと移動させるようにしたことです。
すると、その数人の子どもたちはさらっと報告することができるようになったそうです。 誰しも密な関わりが好きなわけではなく、暑苦しいのは嫌いという人も(むしろ)多いわけで、このあたりの好みは障害の有無と関係ないですよね。 コミュニケーションは問答無用に人に合わせるものでも相手を自分に合わせさせるものでもなく、その状況や落としどころを考えて、一緒にすり合わせるものだし、そのプロセスをいかに一緒に納得して構築するかが大事なんです。
「発達障害は○○だから」が独り歩きすると、コミュニケーションの本質を崩しかねません。特性に関係なく、嫌なものは嫌だし、好きなものは好き。診断名にばかりこだわらず、その子ども本人と向き合うことが大事です。 ■コミュニケーションは誰のため? もう少しコミュニケーションの根幹について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。仮に次のようなシチュエーションに置かれた場合、あなたならどうしますか? 【設定】
あなたはとある放課後等デイサービス(障害のある小中高生が通う福祉施設)に勤務しています。そこで無発語で肢体不自由の生徒(15歳)を担当することになりました。 前提として、その生徒がこちらの言っていることをどれくらい理解できているかわかりません。ただ、接しているうちに「どうも結構わかっていることがあるぞ」「おしゃべりは難しいがスイッチを押すことはできそうだ」とわかってきました。そこで、あなたはVOCA(携帯用会話補助装置)を使って、その生徒がボタンを押して発信できるメッセージを5つ選択することになりました。